坂本龍馬とは
~浪人だった龍馬~
 

明治維新は、日本史上に見る代表的な変動の歴史の一つとみられるだけに大きな問題を持ち、変動の表面と裏面に多くの人物が活躍した。京都朝廷、江戸幕府、薩長土肥の西南雄藩の志士たち、これに対抗する東北雄藩の俊英たちを数え上げれば際限がない。公卿や幕臣、諸藩の志士を含めて維新の功労者は数多く存在するが、そのうちの一人に坂本龍馬がいる。そのうちの一人どころか、おそらくもっとも有名な明治維新の功労者を一人上げろと言われれば、坂本龍馬と答える人は数多くいるはずだ。
龍馬に関する伝記や評論、伝説や推理を含めて、現代人にも圧倒的な興味と関心がもたれた。昭和年間に出版された司馬遼太郎氏の小説「龍馬が行く」により、坂本龍馬の人気は爆発的なものとなり、現在もそれは変わらない。
しかし、龍馬は三条実美や岩倉具視のような京都朝廷の公卿ではない。勝海舟や小栗上野介のような俊才な江戸の幕臣でもない。また、薩摩の西郷隆盛や大久保利通、長州の吉田松陰や高杉晋作、土佐の後藤象二郎や板垣退助、肥前佐賀の江藤新平や副島種臣のように西南雄藩をバックに活動した志士とも一線を画す。龍馬は土佐を脱藩した一介の浪人に過ぎない。
一介の脱藩浪人であるから、生活の道も自ら求めなくてはならないし、ときには命の危険に身をさらさなくてはならない。龍馬の所業を見る限り、決して彼が討幕~明治維新という日本史上における最大級の激烈な革命の最大の立役者であると言い切ることはできない。それどころか、彼が本当に何を成し遂げたのかと問われると、果たしてそれが本当に彼一人の手によるものだったのか、そしてそれが本当に維新にとって有益といえるようなものだったのか、いまだもって解けない謎である。だが、それでも彼が後世の多くの者たちを、同時代に活躍した誰よりも魅了させるのは、龍馬が浪人という立場であったからこそではないか?藩や幕府といった組織をバックにしているものにはない自由さ奔放さ、それこそが坂本龍馬という人物の最大の魅力といってよいかもしれない。
一介の浪人が、時に命の危険にさらされても国事に奔走する。伏見寺田屋で九死に一生を得たのも、京都近江屋で刺客の襲撃を受けて不慮の死を遂げたのも、そういった龍馬の浪人であったが故の不安定さから起こったものである。だが、そんな悲壮なはずの彼の人生は、我々から(少なくても私から)見ると、むしろ楽観的で奔放で未来を感じさせる明るさを感じさせるのである。本来幕末という時代は陰惨で暗い世相ではなかったか?そんな時代に唯一明るさを感じさせるのが坂本龍馬という存在である。
ドラマチックな龍馬の生涯に、人々の関心が集まるというのは、彼が権力者ではなく、ややもすると歴史の渦に巻き込まれて消えてしまいかねないところにいた存在であったからこそなのではないか、最近特にそう思う。




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