龍馬の人間像変遷
~「龍馬が行く」~
 


 司馬遼太郎の代表作から
「天に意思がある。としか、この若者の場合、おもえない。天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命が終わったとき惜しげもなく天へ召し帰した。この夜、京の天は雨気が満ち、星がない。しかし、時代は旋回している。若者はその歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押し上げた。」
龍馬は33歳の若さで死んだが、日本の近代史、現代史の中で、とりわけ危機的状況や転換期の結節点に近代日本の原点・明治維新への回帰が起こり、維新を象徴する龍馬は天の意思を体してか、しばしばいろいろな形で生き返る。坂本龍馬は日本国民の内面深くに生き続けているかのようだ。
日本研究家のマリアス・B・ジャンセンは坂本龍馬が国民的な英雄となっていく過程は、近代日本の国家主義の発展を照らし出す好個の一例であり、龍馬にはその栄光を担うべき理想的条件が備わっていたとして、「波瀾重畳のその生涯、陽気で自信に満ちた挙措や手紙などは、国民が心中に求めていた維新の志士の映像と、まさにぴったりであった。その鋭い機智、実行力、地位や権威への無関心、金銭問題での鷹揚さ、危機に臨んで動ぜぬ沈着さ等を物語る数々の逸話は、同じく彼の知勇兼備の英傑たる役柄に似つかわしかった」と書いている。
 「3度の出会い」での逸話
龍馬にまつわる数多くの逸話、伝説の中で、龍馬のイメージを象徴するものとして、檜垣清治との出会いを文芸評論家の尾崎秀樹や歴史学者の井上清、池田敬正も一様にあげている。
それは、千頭清臣の「坂本龍馬」に収録されている話である。檜垣清治は土佐勤王党の中でも有数の刺客であり、当時土佐の青年たちが愛用していた三尺の長刀をたばさんでいた。それを見た龍馬が「長刀は実戦には役立たない無用の長物」と言って、自分の短い刀を見せた。
檜垣も歴戦の勇士、なるほどと龍馬の説に従い、短い刀に取り換えた。しばらくして龍馬と再び出会う。短い刀に変えた檜垣に対し、龍馬は懐からピストルを出して、一発ドカンとぶっ放した。「これが西洋の新しい武器だ。良く見ておけ」といったという。
三度目の出会い、今度は龍馬は懐から一冊の本を取り出して、「これからの世の中は武力だけでは駄目だ。学問が大切だ。今俺は『万国公法』を読んでいる」と檜垣に語ったという。
 幕末日本の現実に順応した龍馬像
上記はうまくできすぎている話だが、逸話、伝説というものは一般的にそういうものであり、現実にあったかどうかよりも、龍馬についてこのように語られている龍馬のイメージが重要なのである。この逸話の中には、龍馬の機能を重んじるプラグマチストの側面も出ているし、状況を読んで行動する先見力、剣士から政治家への道標も示されている。西洋文明の摂取を図った幕末日本の先駆者たちは短刀からピストルまでの進化には多くの者が到達した。しかし万国公法に表現されている西洋文明の精髄に原理的考察を加え、日本国の未来ビジョンを構想した人間は果たして幕末にどのくらいいたであろうか。
龍馬は海援隊のいろは丸と紀州藩船・明光丸の衝突事件の処理にあたって、海難事故解明の基準を万国公法に置き、海事裁判とはどういうものかを具体的行動で示した。このように死んだ知識としてではなく、生きた実践の指針として万国公法を使いながら、同時に船中八策―新しい日本の統一国家の綱領案を万国公法の根源にあるインターナショナルな視座で構想している。
司馬遼太郎も「幕末に登場する志士たちのほとんどは討幕後の政体を、鮮明な像としてはもっていない。龍馬だけが鮮明であった」といっているが、そういう意味で、先の逸話における三度目の檜垣との出会い「万国公法」はインターナショナルな視点とナショナルな視点を巧みに結合させながら、幕末日本の現実に対応しようとした龍馬の真骨頂を際立たせている。




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