海舟の世界観 ~オランダ兵学と開国論~ |
自然科学、そのなかでも医学が中心になって発展してきたのが日本の蘭学であった。長崎経由で世に出る原書の和訳書の殆どが自然科学関係である。オランダ語の読み書きができるようになり、うれしい気分に浸ると自然科学と医学関係書の洪水に巻き込まれかねない。 それでも構わないのだが、海舟は身分は低くても武士である。食うや食わずの頃は何ともならないが、オランダ語で暮らしのめどが立つようになると、「武士に相応しい蘭学」への思いが頭を持ち上げてくる。天保12年(1841)郊外徳丸ヶ原で見た高島秋帆の西洋砲陣演習の光景が思い出されもした。 「武士に相応しい蘭学」はオランダ兵学の他にはない。オランダ兵学をやろうと決意した後で「ソルダート・スコール」に出会ったのか、その逆なのかはわからない。だが、「ソルダート・スコール」との出会いが決意に弾みをつけたことは間違いないだろう。
海舟は次の二点に絞って考えてみる。「ヨーロッパ諸国が東洋進出したのはなぜか」「アメリカがヨーロッパ諸国より先に日本に進出し得た原因は何か」ということを。 アメリカが先に日本に進出できた理由は、地理的要因が大きいというところあろうが、ヨーロッパ諸国が東洋諸国に来た理由については「食えなくなるから」としている。 しかし、食えなくなると言っても、それまでは食っていたのだ。であれば、何とか新しい工夫を出して、わざわざ登用に行かずに済む道を探せばよいではないか。 だがここで、海舟はこう考えた。西と東の、土地柄の相違というもの。東の土地は天恵が多い。したがって人間もまた優れている、と。西の人間は劣るが故に、食えなくなれば食える土地に出ればよいとしか考えぬ、と。 「食えなくなるので」「あちらからずっと日本に来たので」という簡潔極まりない海舟の考え方は、欧米の諸国を動体として把握する方法である。「そういうものなのだ」といった静体としての見方ではないので、少しも硬直する所がない。
オランダ語で食っていこうとし、どうやら食っていける展望が出て来てからのペリー来航、攘夷の嵐である。待っていたのはペリーであって、攘夷などではない。 そしてオランダ兵学である。兵学の要といえば人間と物資の動きの事だ。人間そのものではなく、物資そのものでもなく、人と物との動きとして欧米を捉えることが可能になった。 物そのもの、人そのものでは交渉の余地がない。動きであればこそ交渉ということが可能になる。海舟が開国派であったという事は事実だろうが、欧米列強が開国を要求してきた以上は応じないわけにはいかない、という意味での止むを得ずという意味での開国論であった。日本としてはあえて開国する必要はないと、海舟は考えていたようだ。 |