[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

 回想の信長
第1章
 ~1.概略~
 


信長は、尾張の国の三分の二の主君なる殿(信秀)の第二子であった。彼は天下を統治し始めた時には37歳くらいであったろう。彼は中ぐらいの背丈で、華奢な体躯であり、髭は少なく甚だ声は快調で、極めて戦を好み、軍事的修練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格であった。
彼は自らに加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおかなかった。幾つかのことでは人情味と自愛を示した。彼の睡眠(時間)は短く早朝に起床した。貪欲ではなく甚だ決断を秘し、戦術において極めて老練で、非常に性急であり、激昂はするが、平素はそうでもなかった。
彼はわずかしか、またはほとんど全く家臣の忠言に従わず、一同から極めて畏敬されていた。酒を飲まず、食を摂し、(人の)取扱いには極めて率直で、自らの見解に尊大であった。

彼は全ての王侯を軽蔑し、下僚に対するように肩の上から彼らに話をした。そして人々は彼に絶対君主(に対するように)服従した。
彼は戦運が己に背いても心機高●(変換不能)、忍耐強かった。彼は善き理性と明晰な判断力を有し、神および仏の一切の礼拝、尊崇、ならびにあらゆる異教的占卜や迷信的慣習の軽蔑者であった。形だけは当初法華宗に属しているような態度を示したが、顕位に就いてのちは尊大にすべての偶像を見下げ、若干の点、禅宗の見解に従い、霊魂の不滅、来世の賞罰などはないと見做した。

彼は自邸において極めて清潔であり、自己のあらゆることの指図に非常に良心的で、対談の際、遷延することや、だらだらした前置きを嫌い、ごく卑賎の者とも親しく話をした。彼が格別愛したのは著名な茶の湯の器、良馬、刀剣、鷹狩りであり、目前で(身分の)高い者も低い者も裸体で相撲を取らせることを甚だ好んだ。何びとも武器を携えて彼の前に罷り出ることを許さなかった。彼は少しく憂鬱な悌を有し、困難な企てに着手するに当たっては甚だ大胆不敵で、万事において人々は彼の言葉に服従した。
                                                        
                                                                続く




TOPページへ BACKします