回想の信長 第1章 ~2,若き頃の信長~ |
彼(信長)の父が尾張で瀕死になった時、彼は父の生命について祈祷することを仏僧らに願い、父が病気から回復するかどうか尋ねた。彼らは彼が回復するであろうと保証した。しかるに彼は数日後に世を去った。そこで信長は仏僧らをある寺院に監禁し、外から戸を閉め、「貴僧らは父の健康について虚偽を申し立てたから、今や自らの生命につき更に念を入れて偶像に祈るがよい」といい、そして彼らを外から包囲した後、彼らのうち数人を射殺せしめた。 彼は好戦的で傲慢不遜であったから、兄が父の相続において自分に優先することが堪えられなかった。そこで目的を果たす為病気を装って数日床につき、兄が(見舞いに)来ないと母親に訴えた。(兄は)欺瞞を恐れてそうしなかったのであるが、彼の激しい督促によってついに訪問した。その際、彼は脈を診てもらうために左手を差出し、彼(兄)がそれを取った時、彼は大いなる�迅速さをもってすでに用意してあった短刀をつかみ、その場で直ちに彼(兄)を殺した。 彼は同家(織田家)を掌握した後、同国の三分の一を所有する他の一人の殿に対して戦いを行い、容易に彼を追放して尾張国の絶対君主となった。 だが彼は(隣国をも)支配しようと欲していたので、突如、尾張に接する美濃国に対する攻撃を遅滞なく準備した。彼が陣営を構え、美濃国王(斎藤龍興)も同様になした後、彼は戦略を用いた。彼は夜間、家臣の殆ど半ばを退かせ、大いなる夜陰に乗じ、敵を七、八レーグア側面から迂回して彼らを密かに美濃国王の背後に配置し、その際、敵方の家来の印がついた旗を作らせておいた。美濃国王は眼前の信長の陣営を密かに偵察せしめ自分の部下が遥かに優勢であることを聞いて攻撃した。しかるに彼が進撃を開始した後、信長も彼の背後に異動した。敵のこの動きから、彼の背後に生じ得る事態について国王はいささかも懸念しておらず、むしろ彼はその軍勢を見、味方の旗を認めると非常に喜び、目前の敵を攻撃することにのみ一層夢中になった。ところが両軍が刃を交え始めた頃、信長がやって来て彼を挟撃し、その多数の部下を殺し、軍勢に打撃を加えた後、直ちに美濃の主城へ突進し、(かくて)すべて難なく(信長に)帰服した。こうして彼は美濃国を獲得したのである。ところが美濃国王は非常に苦労して騎馬で従った数名の僅かな貴人とともに脱出し、都に逃れ、同所も安全ではないとみて、日本の全ての追放人にとって避難所である堺に赴いた。 続く |