財政戦略
1、20世紀初頭の金融環境
 ~列強のGDP~
 


 20世紀初頭の経済規模 
日本が日露戦争に際して外国公債を募集するのだが、20世紀初頭の列強各国の経済力や国際資本市場の状況がどのようなものであったかを理解することがまず大切になる。
日本のGNPは1903年の名目推計値では26億9600万円であったのだが、GDPとなると1900年当時では約520億ドルで、ロシアのGDPは日本の約3倍の15億4049万ドルであった。中国は21億9154万ドル、インドは17億466万ドルとその人口から既に全体としては相当の経済規模を有しているが、インドはイギリスの植民地であり、中国の成長は停滞していた。
国の比較で国民一人ひとりが裕福であるかどうかを見るためには、GDPを人口で割る必要がある。これを見ると、イギリスがトップで4492ドル、アメリカが次いで4091ドル、ドイツが2985ドル、フランスが2876ドルと続く。日本は大きく下がって1180ドルであるが、ロシアは日本とさほど変わらぬ1237ドルである。
 躍進するアメリカ
西洋列強の一角であるロシアの方が、貧しい農業国の日本よりもはるかに高いのではと思われそうだが、実際に日本とロシアのそれはほとんど大差がなかった。ロシアは人口こそ多いが、ドイツやフランスとも比較にならないほど貧しかったのである。日露戦争中にロシア革命の動きがみられることになるが、これは貧しい国民が多かったことが根拠になっているのだろう。日本はこの時点ではまだ農業と養蚕業、それに関連する軽工業が産業の主体であったが、ロシアも欧州の中では後進性が指摘されていた。
一方、アメリカは後進ではあったが、20世紀初頭ではすでにフランスを遥かしのぎ、イギリスに肉薄していることがわかる。このデータは1900年当時で、5年後になると一人当たりのGDPでアメリカはイギリスさえも追い越してしまうのである。
 人口と広大な国土のロシア
貧しいながらもロシアが欧州で軍事的に最も恐れられていたのは何故か?それは、その広大な領土とそこに住む人口を背景にした陸軍の兵力であった。1900年の日本の人口は4400万人であり、それに対するロシアの人口は1億2500万人であった。つまり人口が日本の3倍の規模を持っていたのだ。
日露戦争開戦時のロシアの常備兵力は約200万人であり、それに対し日本は約20万人と言われているが、最終的に動員された日本の陸軍兵力は戦地勤務が94万5000人、内地勤務、軍属を加えると124万3000人に達した。また講和直前の1905年8月末に極東に展開されていた両軍の兵力はロシアが78万8000人、日本は軍属も含めて69万2000人だった。




TOPページへ BACKします