信玄の用兵法
 ~敵に五種類あり~
 


 趣旨
敵を五つに分類している。
①武勇に優れ、固く結束した「強敵」
②広い領土、多くの家臣をもった「大敵」。だが、以下に大身であっても、自分の領土を保全することしか念頭に無ければ「弱敵」であり、合戦に勝利を得た経験がなければ「若敵」である。
③領地も家臣も少ない「小敵」であっても、武勇に優れたものもあるから注意せよ。
④「小敵」で、しかも「弱敵」でありながら従ってこない者は、何らかの成果があるのだから油断してはならぬ。
⑤勝利の経験のない「若敵」が思いがけぬ働きをすることもある。たとえ最後にこちらが勝っても、不測の損害を被るから油断してはならぬ。
 要約
敵には五つの種類があるという。強敵、大敵、小敵、弱敵、若敵である。
第一に強敵とは、すこぶる武勇に優れ、人材の評価が的確で、多くの立派な家老、侍大将(主君に劣らぬ能力を持ち、主君への強い忠誠心を抱いている)を擁し、思慮分別に優れて、野戦や城攻めで度々勝利を得た名将を、強敵と呼ぶのである。
この強敵のうちにも大身・小身の2種類がある。一郡程度しか持たない小身の者は、名人と呼んで、名大将とはいわないものだった。一石以上の領地を有し、名誉の戦歴を持ち、欠けるところのない者を名大将と呼ぶのである。
こうした大将の中にも、破敵、随敵の二種類がある。破敵とは打倒すべき敵、随的とは服従させられる敵である。これを判断するには、その国からやって来た浪人たちに、その大将の政治のやり方、すべての行動、それに対する家中の意見、判断と言ったことをよく尋ね、調べたうえで戦うのである。したがって事前の調査や訓練が必要である。
第二に大敵とは、国を五か国も十カ国も持っている大将の事である。大敵にも二つあり、第一は弱敵、第二は若敵である。
弱敵とは、武道に未熟であって、自分の国さえ安全であればよいと考え、他国に打って出ようとは考えない大将で、こうした者は、よそがそのままには放っておかないものである。
ただし、大軍の中には、いないように見えても武勇に優れた侍がいるものである。小身の家中に良い侍がいるというのより、大身の家中で人が少ないという方が、実は遥かに勝っているものである。何故ならば、国を三つ以上も持っているからには、いずれか
の代には大きな武功をあげているはずである。したがって、あとあとになっても、前代の武勇がいくらかは残っているもので、そうした国を滅ぼすまでには、必ず手間がかかるものである。大敵に対しては、たとえ大将が弱かろうとも、決して侮ってはならない。
また、若敵というのは、年はいくつであろうと、強いとも弱いとも、評価が定まっておらず、一度も武功をあげてない大将であって、その技量がまだ若いため、若敵というのである。
年が若くてまだ手柄を立てたことが無いのは、もちろん弱敵である。また年を取っているのに一度も手柄を立てたことのない大将は、世間の評判を口惜しく思っているに違いないから、どのような働きをするか、予測できないのである。決して侮ってはならない。その国から来ているものによく尋ねてから、国攻めに取り掛かる準備をするのが、妥当なやり方であるという。
第三に、小敵でありながら強い態度を示しているのは、よくよく武勇に秀でているから小人数で大軍と戦おうと考えているので、これまた侮ってはならない。
第四に、弱敵で少身でありながら、それでも従ってこないというのは、何らかの成算をもっているためと考えるべきで、侮ってはならぬものである。
第五に、若敵で戦功を挙げたことのない者から、不意打ちを突かれると、たとえ勝利を得たとしても、味方の優れたものを失うことがある。そのようなことがあってはならないから、決して侮ってはならぬ。また、小敵、若敵、弱敵に敗れると、敵側に名を挙げさせる結果となるから、特に充分な思慮判断というものが大切である。
以上のような意味から信玄公は、油断強敵ということを常に考えており、関東や越後・美濃・尾張・三河の諸国の武士を招き、その国々ごとの戦争のやり方を知り、戦いに勝ったあとは、ますます兜の緒を締めるというので、少しもあわてた動きをしなかったという。これが信玄公の軍法である。
この事を勝頼公は、よからぬことと思われ、信玄公以上の働きをと考えて、軽率な判断を下された為に、三河国の長篠において敗軍なさったのである。



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