台東・荒川区界隈の寺町散歩
 1、谷中~上野


 JR日暮里駅本行寺経王寺谷中銀座天王寺谷中霊園観音寺(築地塀)全生庵下町風俗資料館寛永寺上野恩賜公園
   ~このコースの主な概要~
約70もの寺院が集まる谷中。ここから上野まで抜ける散歩である。
まず日暮里駅から谷中銀座へ足を延ばす。その途中に本行寺と経王寺があるので立ち寄ってみたい。いずれも幕末の歴史に関係が深い寺である。
谷中銀座で買い食いした後は、谷中霊園方面へ。谷中霊園は徳川慶喜、渋沢栄一など数多くの著名人が眠る。
そこからアチコチ道をくねくねしながら徐々に上野方面へ。下町風俗資料館~寛永寺を見学したらもう上野恩賜公園である。
【谷中】
谷中は寺町と呼ばれるだけあって、寺が多く集中する。幕末時の上野戦争で罹災したものの、関東大震災や第二次世界大戦時の被害は少なく、そのため、旧来の街並み・建造物が遺されている。
もともと山林地であったが、江戸幕府成立後、上野に寛永寺ができ、谷中にもその支院が次々とたてられた。また、幕府の命令によって神田付近から谷中に多くの寺院が移転し、明暦の大火後、焼失した寺院が谷中の地に移転してくる。それに伴って町家も増加し、江戸庶民の行楽地として発展していった。
なお、谷中の名の由来は、上野台と本郷台の谷間に位置することからその名がつけられたという。

 本行寺 大永6年(1526)創建され、宝永6年(1709)に現在の地に移転した。 
観月の地にあったので、別名「月見寺」とも呼ばれる。 
幕末、幕府において名能吏と呼ばれた永井尚志の墓もある。

 
経王寺 

谷中七福神の大黒天が祀られている。 
明暦元年(1655)建立。 
幕末、彰義隊と官軍が戦った上野戦争の銃弾の痕が山門に残されている。 

谷中銀座 
谷中の商店街。大勢の人で終始にぎわう。日暮里から坂を下っていく。その途上にあるのが夕焼けだんだん。
天王寺 

谷中七福神毘沙門天を奉安。 
応永年間(1394~1427)頃の創建。江戸期には「富くじ」興行がしばしば開催されたという。ここの庭園というか、境内の中のつくりはとても良い感じだ。 
なお、銅像釈迦如来坐像は、元禄年間に寄進されたものらしい。 

 
谷中霊園  天王寺の境内に明治7年(1874)に公営の墓地にしたもので、東京の三大霊園の一つとされる。多くの著名人が眠っている。主な人物は、徳川慶喜、横山大観、渋沢栄一、長谷川一夫、鳩山一郎などである。 



観音寺(築地塀) 

河原と粘土を交互に積み重ねて造った土塀に、屋根瓦を載せた珍しい塀。
江戸時代には大名の邸宅や寺院に多く造られたが、現存するものは少なく、ここに残されてい
る。

 
 全生庵  

山岡鉄舟居士が徳川幕末・明治維新の際、国事に殉じた人々の菩提を弔うために明治十六年に建立した。尚、居士との因縁で落語家の三遊亭円朝の墓所があり円朝遣愛の幽霊画五十幅 明治大正名筆の観音画百幅が所蔵されている。

 
下町風俗記念館(旧吉田屋酒店)   

谷中で江戸後期から代々酒屋を営んでいた「吉田屋の建物を現在地に移したもの。
明治43年にこの建物が建てられ、江戸中期から明治期にかけての商家建築の特徴を有している。

 
寛永寺    寛永2年(1625)江戸城鬼門(北東)を鎮護する祈祷所として創建された。将軍家の菩提寺として芝増上寺とともに江戸期に存在し続けた。
慶応4年(1868)の戊辰戦争の戦禍で主要な建物はほとんど焼失したが、五重塔をはじめ再建されたものを含め、いくつかの建物が上野公園内に点在している。
写真無し 
 



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