昌幸の領国経営
 ~上田は真田の旧城下~
 


真田昌幸が支配下に置いた上田・小県郡地方は、長野県東部の千曲川沿いにあり、地理的にも上田盆地と呼ばれ、四方を山に囲まれた独立小王国のようなまとまりを持っていた。
戦国乱世の末期に、初めてこの地域を統一支配したのが真田昌幸であって、以後40年にわたって真田氏が同地を支配したのであるが、その内容が、歴史に際立った足跡を残し、周辺から突出して特色を持っているので、わずか7万石に満たない小地域ながら、あたかも一国のような体裁と重みを持ったのである。
実際には真田の40年間よりも、その後の仙石氏が80年、さらに松平氏が160年の長い上田支配にもかかわらず、現在でも「上田は真田の旧城下」とこの地の人々は誇らしげに言い、県立上田高校の校歌にも「関八州の精鋭を、ここに挫きし英雄の、義心のあとは今もなお、松尾が丘の花と咲く」と言う歌詞が読み込まれている。ここでの「英雄」とは言うまでもなく真田昌幸の事である。
現在の長野新幹線の上田駅の駅前広場には、真田信繁(幸村)の馬上姿の銅像が建っているが、それは信繁が大坂の陣の際に示した智謀と武勇があまりに有名なので、現在では昌幸よりもその子の信繁の方が一般的には有名である事を示している。だが、領国経営という点では、昌幸がその基礎固めをしたのであり、真田勢が戦闘に強かった理由も、昌幸の領国経営が背景にあったからこそと言えるのである。





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