藤原氏の強さの秘訣 4.中央との関係 ~内乱の勃発~ |
東国平定の任を帯びた平維盛以下の追討軍は、この合戦において源氏の大軍を前に戦わずして潰走するという屈辱的敗北を喫した。この結果、源頼朝による坂東支配が確立するとともに、平氏政権の政治・軍事的権威が崩壊し、平氏に対する反乱は燎原の火の如く燃え広がることになる。そして、その火の手は翌11月には近江にまで及ぶのである。 この合戦の直後、戦勝に酔う頼朝の黄瀬川の宿所において劇的な対面があった。すなわち、奥州平泉の藤原秀衡のもとから駆け付けた源義経が、兄頼朝と約20年ぶりに対面したのである。当時はまだ、後年の悲劇が待ち受けていることなど知る由もなかった。
しかし、義経を引き留めたことや、支援の軍を派遣しなかったことから明らかなように、秀衡には頼朝を全面的に支援する意思はなかった。もちろん、当時は内乱の帰趨も不明確で、挙兵して間もない頼朝を支援することに危険を感じたのは当然であるが、これ以後の行動を見ても、秀衡があくまでも中立を貫くつもりであったのは明白である。 元来、奥羽は往年の蝦夷征伐をはじめ、11世紀後半の前九年後三年の役と、再三朝廷からの追討や源氏武将の介入を受けた苦い経験を持っていた。むろん、奥羽以外の争乱に関与することは、再び追討や侵略を招く危険につながる。 そうした事態を回避し、奥羽の自立と平和を守ろうとした点にこそ、秀衡が中立路線を堅持した原因があったと考えられる。以後、動かざる藤原秀衡の意志は、源平両氏の思惑に微妙な影響を与え、中央の政治を間接的に動かしてゆくことになる。 |