浦賀 東福寺 |
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延命山・曹洞宗の寺院。 徳川家康が江戸に入城した折に、三浦半島の代官となった長谷川七左衛門長綱によって改宗され、禅寺になった。江戸幕府から御朱印地2石をもらっており、浦賀奉行が就任すると必ず参拝したという。 本堂には江戸時代中期を代表する画家・酒井抱一が描いた大きな「亀」の絵馬がある。 本堂より一段低いところにある観音堂の観音菩薩は「海難除けの観音様」として信仰されており、下記のような伝説がある。 江戸時代初期、西浦賀紺屋町にあった淡路屋治兵衛の廻船が上方から荷物を積んで浦賀に向かっているときに、しけにあい、船が沈みそうになった。船頭はじめ乗組員が日ごろから信仰する観音様に助けを求めていると、不思議なことに、船の舳先に観音様が現れ、それと同時に海は穏やかになった。船頭と乗組員は、観音様が自分たちの命を救ってくれたとして、浦賀に入港すると東福寺に観音様を安置した。この観音菩薩は、三浦三十三観音の十三番札所となっている。 |