渋川春海と天文学
 ~暦のずれ~
 


 暦の誕生
古代エジプト文明がナイル川によって運ばれてきた肥沃な黒土の上に築かれたことはよく知られている。ナイル川は毎年雨季になると増水し、氾濫を起こして流域に被害をもたらすが、それと同時に肥沃な土を堆積させた。この天災と恵みの狭間でエジプト人は文明を発展させたが、彼らはいつしか天災を事前に予知してリスクを軽減させる知恵を確立した。
エジプト人が注目したのは、毎年おおいぬ座のシリウス星が、日の出直前に地平線に現れるようになると、ナイル川の水位が上がるという天地自然の規則性だった。これによって洪水の危機を回避し、農耕をはじめる時期を正確に知るようになるのである。紀元前3000年ころのことである。
エジプト人はシリウス星を「ナイル星」と呼んで崇めていたが、この恒星の動きを観測し、概ね365日経つと、また日の出の時地平線近くの同じ位置に戻ることを突き止めたのだろう。こうしてできあがったのがエジプト暦(シリウス暦)である。
のちに、このエジプト暦をもとにローマ帝国の暦を制定したのがユリウス・カエサルであった。カエサルはこのユリウス暦という暦を、1年を365日と4分の1日とし、厳密には365.242日なのだが、実はこれだと実際の一年より11分ほど長い。これで計算すると、130年後には1年は366日となってしまう。
 暦の改定
そこで、16世紀末になって改良されることになり、通常は1年365日として、400年間に97回の閏年を設けて調整が図られた。これにより、実際の1年との誤差は0.0003日となり、大幅に改善されることになった。この暦を制定したのがローマ教皇グレゴリウス13世であり、それでこの暦はグレゴリオ暦と呼ばれる。グレゴリオ暦はその後世界に広く普及し、日本でも明治時代の初めに採用されている。
エジプト暦、ユリウス暦、グレゴリオ暦は、太陽の運行に基づいて考案されているため太陽暦と総称される。これに対して月の運行に基づく暦法を太陰暦と言い、イスラム暦がこれにあたる。
月の満ち欠けの周期は29.5日なので、イスラム暦では30日の月と29日の月を交互に配置し、1年を354日としている。太陽暦よりも11日少ないため、実際の季節と日付が食い違う。
さらに太陽暦と太陰暦を組み合わせた太陰太陽暦は、1年を354日とするところは太陰暦と同じで、何年かに一回閏月を入れて季節とずれないように調整するというものである。この太陰太陽暦はユダヤ暦やヒンズー暦、バビロニア暦、中国暦などがあるが、明治の初めに太陽暦に切り替えられるまで日本で用いられていたのも太陰太陽暦であった。
 暦とは宇宙空間の法則
世界の歴史を見れば、様々な地域で実に多くの暦が考え出されている。それらは天体運航の規則性から編み出された時間サイクルの体系化である。太陽も月も悠久の時間軸のなかで律儀に宇宙空間をめぐり続け、その偉大な法則の中に地球上の人間の暮らしも組み込まれている。その宇宙空間の法則を人間の営みにわかりやすい形で取り入れたのが暦である。
暦は人類が生み出した尊い知恵の結晶であり、それはユリウス暦やグレゴリオ暦のように偉大な為政者の名が冠されていることからもうかがえる。人類史において暦が農業の発展に寄与したものは計り知れない。それゆえに、天文学と暦学は古来の最先端科学であり、日本もまた例外ではなかったのである。




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