対外政策の変遷
 ~ジョン万次郎の語るアメリカ~
 


 ジョン万次郎
アメリカとはどのような国か。体験をもとに幕府に伝えたのがジョン万次郎である。
万次郎は土佐の中之浜村に生まれ、1841年、15歳のときに乗っていた漁船が難破、絶望的な漂流の末無人島に漂着した。暫くの耐乏生活のあと、アメリカ捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助され九死に一生を得る。船長ホイットフィールドの厚意によりホノルルからアメリカ東部のマサチューセッツ州に移り、学校教育を受けた。
その就学年齢から、読み書きは日本語より英語の方が得意となった。3年間の勉学を終えると、万次郎は捕鯨船の一等航海士として活躍する。1849年、カリフォルニアに金鉱が発見されゴールドラッシュが始まると、そこでも働きつつ、やがて1851年1月、沖縄に強行帰国を果たす。鎖国政策下の当時、日本人の海外渡航は厳禁であり、事故による漂流でも帰国は許されなかった。そうした時代に万次郎は帰国を断行した。
万次郎は、ペリー来航の直後に幕府の事情聴衆に答える形式で、アメリカ事情を語っている。全体の脈略は幕府の論理に沿っているが、国際政治の激変、政治・軍事情勢、通称の現況、風俗習慣、航海術など、彼が経験し学んだものを的確につかみ、自由闊達に語っている。
万次郎の語るアメリカ事情①
この19世紀半ば、日本を巡る国際政治は大きく変わり始めていた。幕府の役人も取り調べというより、熱心に学習する様子である。そして1854年1月、万次郎は二十俵取りの御普請役として召し抱えられた。彼の伝えたアメリカ事情は次の通り。
① 地理と歴史について
土地広く、産物多く、人口は増えつつあり、大船に乗って漁業の他に海外諸国との交易が繁盛し、豊饒の国である。7,80年前まではイギリスの所属であったが、人民がその政令に服さず、ついにイギリス所属を離れ、独立国となり、共和の政治を建て…13州から34州となった。
② 食事と酒について
朝昼晩の三回、朝夕は麦を粉にして作ったパンを砂糖入りの茶とともに食べ、昼はパンと牛豚鶏などの塩漬けや蒸し焼きを食べる。米はインドから入ってくるが、粥にして病人に食べさせるくらいで、常食にはしない。
酒は多種あるが、下賤の者が飲み、身分のある者は飲まない。捕鯨の際などに船中では飲むが、帰国すれば飲まない。
③ アメリカ人について
人物丈高く、力量強く、智巧豪邁の者が多い。ただし相撲には弱く、自分は2,3人を相手に投げ飛ばした。
万次郎の語るアメリカ事情②
④ 大統領について
アメリカ共和国には国王がおらず、国政を司るのは「大統領フラッデン」という人であり、彼は国中の人民の入札(選挙)で登職し、在職4年で交代する。なお人物が格別に良いか、または軍国の大事などで交代しにくい事情があれば、8年間の在職も可能である。大統領は平生は供の者をわずか1人だけ召し連れ、乗馬にて通行し、自分もあるとき行き合い、立ったまま対話した事がある。
⑤ 日本に関する評判
日本からの産物が直接に来ることはないが、外国を経由して入る物の中では漆器が珍重され、これは天下無双と評判である。日本漆という看板を立てた店を見たこともある。日本の貨幣の品質は世界最悪といわれている。
⑥ 江戸の評判
江戸は世界中で最も繁盛なところと評判が高く、彼国の人々は見物したがっている。江戸、北京、ロンドンの三都は世界第一の繁盛の地である。
以上、簡潔な回答の中に、万次郎の見た世界やアメリカ観が鮮やかにでている。調書を取った幕府役人も興味津々であったに違いない。




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