首相チャーチル ~人民の戦争~ |
大革命におけるフランスが反革命干渉に対して戦った時、戦況が困難になればなるほど政権をより左翼に移し、そしてより広範な人民大衆を戦争に動員していった。同じように第一次大戦下のイギリスにおいても、政権が当時の最左翼のロイド‐ジョージに移る事によって、はじて「ドイツ打倒」に国力を動員できるようになった。第二次大戦前のイギリスの左翼は、一般に帝国主義的なイギリス政府は帝国主義戦争しか戦うことができないし、ファッシズムに対して徹底的に戦うことはできないと信じていた。イギリス共産党は、独ソ不可侵条約の締結からヒトラーのソ連侵入に至るまでの期間、帝国主義戦争反対を唱えるが、それは別としても、左翼化、つまり労働党政権ないし人民戦線政府なくしてはヒトラーに対抗できない、というのが左翼の一般的な心情であった。そしてチャーチルの戦争がーチェムバレン政権下の戦争とは全く逆に―国の総力を挙げての戦争になるとすれば、それは「人民の戦争」以外にはなりようがなかった。現実に、今日の左翼の老闘士たちは大戦中の「平等化の雰囲気」を懐かしく回想しているのである。
これまでイギリスの支配階級は、第一次大戦前に自由党急進派に走ったチャーチルを「階級の裏切者」として非難し、30年代には彼を甚だしく冷遇したが、結局は宥和の過ちを犯したイギリスの政治的支配階級を守る最後の一線となったのはチャーチルであった。少なくともチャーチル自身にとっては、戦時のイギリスにおいて戦争遂行のために必要とされる以外にはいかなる政治目的、社会的変化があってはならなかった。第一次大戦中のロイド‐ジョージ首相は全てを新しく作り出したことを誇示しようとしたが、チャーチルは社会の深部から重大な変化が生じていることを時には匿し、時には無視しようとした。国王と議会には、これまで以上にロマン主義的な尊敬を示した。つまり少なくとも彼自身は、戦前のイギリス社会を凍結しようとしたのである。まさしくそのことによって、彼の政権はイギリスの全ての階級の支持を結集する事ができるようになった。
チャーチルは、この年の10月、チェムバレンが病気の為に保守党指導者の地位を辞任すると、その後任に選出された。彼は明らかに政党を超越した国民的指導者であったが、首相としてもまた歴史家としても、保守党の感情には細心の注意を払ったのである。チャーチルの弱点は保守党とのつながりにあった。しかし彼は、第一次大戦時のロイド‐ジョージが自らの政権を破壊した轍を踏むまいとしていた。 |