首相チャーチル
~人民の戦争~
 

 低所得者層からの強い支持
歴史家のテーラーは、「結局のところ、彼は支配階級に敵対して人民を呼びいれることによって成功を収めた」という。確かに、労働党は5人からなるチャーチル戦時小内閣に、アトリーとグリーンウッドの二人を送り込んだ。他に労働運動を代表してベヴィンが議席の無い労働相として入閣し、労働力の動員と配置に関する限りは閣僚の中でほとんど唯一人、チャーチルと互角に渡り合った。チャーチルは、海相就任以来のラジオ放送によって世論の支持を集めていた。始まったばかりの世論調査によると、彼に対する最大の支持は「低所得者層、21歳から30歳までの男性」―つまり戦場と工場において主力を成している人々から寄せられていた。
大革命におけるフランスが反革命干渉に対して戦った時、戦況が困難になればなるほど政権をより左翼に移し、そしてより広範な人民大衆を戦争に動員していった。同じように第一次大戦下のイギリスにおいても、政権が当時の最左翼のロイド‐ジョージに移る事によって、はじて「ドイツ打倒」に国力を動員できるようになった。第二次大戦前のイギリスの左翼は、一般に帝国主義的なイギリス政府は帝国主義戦争しか戦うことができないし、ファッシズムに対して徹底的に戦うことはできないと信じていた。イギリス共産党は、独ソ不可侵条約の締結からヒトラーのソ連侵入に至るまでの期間、帝国主義戦争反対を唱えるが、それは別としても、左翼化、つまり労働党政権ないし人民戦線政府なくしてはヒトラーに対抗できない、というのが左翼の一般的な心情であった。そしてチャーチルの戦争がーチェムバレン政権下の戦争とは全く逆に―国の総力を挙げての戦争になるとすれば、それは「人民の戦争」以外にはなりようがなかった。現実に、今日の左翼の老闘士たちは大戦中の「平等化の雰囲気」を懐かしく回想しているのである。
 小内閣の面々
チャーチルの戦時小内閣に加わった次の二人は、チェムバレンとハリファックスであった。二人はともに「ミュンヘンの罪」を刻印された犯人である。しかしチャーチルは、チェムバレンに蔵相と枢密院議長兼下院指導者(後者は通常ならば首相の職務)に就任するよう要請した。労働党の反対にあってチェムバレンは蔵相にこそならなかったが(蔵相にはウッドが任命された)チャーチルは先の政権との連続性をできる限り保とうとした。ハリファックスは外相に留任した。戦時小内閣の最後の一人は、もちろんチャーチルその人であり、彼は三軍を統括する国防相に自分自身を任命した。陸相は保守党のイーデン、海相は労働党のアレキサンダー、空相は自由党のシンクレアと、三大主要政党に割り振られ、いずれもチャーチル首相兼国防相の言いなりになる人々であった。目新しい人事としては、労働党のぺヴィンと、航空機生産担当相のビーヴァーブルックしかなかった。ミュンヘン協定反対における真の英雄クーパーは情報相の地位を与えられたに過ぎなかった。閣僚級の役職については、保守党が15、労働党が4、自由党が1に過ぎず、圧倒的に保守党色の強い、しかもチェムバレン政権と連続性の強い内閣であった。
これまでイギリスの支配階級は、第一次大戦前に自由党急進派に走ったチャーチルを「階級の裏切者」として非難し、30年代には彼を甚だしく冷遇したが、結局は宥和の過ちを犯したイギリスの政治的支配階級を守る最後の一線となったのはチャーチルであった。少なくともチャーチル自身にとっては、戦時のイギリスにおいて戦争遂行のために必要とされる以外にはいかなる政治目的、社会的変化があってはならなかった。第一次大戦中のロイド‐ジョージ首相は全てを新しく作り出したことを誇示しようとしたが、チャーチルは社会の深部から重大な変化が生じていることを時には匿し、時には無視しようとした。国王と議会には、これまで以上にロマン主義的な尊敬を示した。つまり少なくとも彼自身は、戦前のイギリス社会を凍結しようとしたのである。まさしくそのことによって、彼の政権はイギリスの全ての階級の支持を結集する事ができるようになった。
 長い沈黙
また、チャーチルの首相就任の重要なきっかけとなった5月9日午後の「非常に長い沈黙」の一幕は、彼の「第二次世界大戦」では翌10日に起こったことになっている。おそらく意図せざる誤りであろうが、この誤解の心理的な理由は容易に推測できるであろう。彼自身としては、9日の彼の沈黙の圧力ではなく、10日に始まったヒトラーの攻勢によって首相に就任したと信じたがっていたに違いない。会談の出席者から党幹事長マージェソンを省略したのも、首相就任が党内事情によったのではないと信じたかったからであろう。
チャーチルは、この年の10月、チェムバレンが病気の為に保守党指導者の地位を辞任すると、その後任に選出された。彼は明らかに政党を超越した国民的指導者であったが、首相としてもまた歴史家としても、保守党の感情には細心の注意を払ったのである。チャーチルの弱点は保守党とのつながりにあった。しかし彼は、第一次大戦時のロイド‐ジョージが自らの政権を破壊した轍を踏むまいとしていた。




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