武田氏の家臣団と身分・役職 1.筆頭家老と「両職」 ~実名から見た家臣の家格差~ |
信玄の治政であれば比較的早い時期、つまり信玄が出家前の晴信を名乗っていた時期であれば、板垣信方がそれに該当する。板垣信方は、武田氏が最初にまとまった分国として獲得した諏訪郡を支配する諏方郡司に任じられた重臣である。新規占領地の支配を委ねられた最初の人物なのだから、その信頼の厚さはうかがい知ることができるだろう。 また、他大名との外交面においても、信方は信玄治政の初期外交の中心であり続けた。今川氏、本願寺、伊勢神宮等へ取次を務めたことが確認できる。外交面での取次とは、①大名の書状に添状を付し、大名の発言が家中(家臣団)の総意を踏まえたものである事を保障する、②送られてきた書状を大名に披露する、③相手大名との友好関係を保ち、味方に引き付け続ける、④自家の輿論を外交相手と友好関係を持つように誘導する、といった役割を持った。 つまり、外交を通じて対内的にも、信方は多くの権限を委ねられたのである。筆頭家老と呼ぶに相応しい。江戸時代に「両職」と認識された理由は、まさにここにある。
この点は、実名を見てもよく分かる。板垣・甘利両氏とも、武田氏から偏諱を受けた可能性が高い。偏諱については、つまり与える字によっての格の違いがあるのだ。一般的に、近世以前の武士の実名は二文字からなり、そのうち一字は代々世襲する「通字」である事が多い。武田氏であれば「信」が通字である。戦国期に限っても、信昌―信縄―信虎―晴信(信玄)-義信と続く。 この通字を与えられた方が、もう一つの字を与えられるよりも格式が高い。板垣信方と甘利虎泰であれば、「信」の字を与えられた板垣の方が、「虎」の字に留まっている甘利よりも家格が高いということになる。家格面でも、甘利氏は板垣氏の後塵を拝していたのだ。
なお、偏諱を受けると、その人物の実名は偏諱を受けた字+通字の組み合わせになることが多い。こうなると、通字を与えるほどの家柄ではない人物には別の一字を与えなくてはならなくなる。信玄の場合、曽祖父で、武田氏中興の祖である信昌の「昌」の字や、自身の幼名勝千代から「勝」をとって、「昌」「勝」を好んで与えたようである。 |