天皇となる ~幸先の良いスタート~ |
12月28日、昭和天皇は皇居の正殿において、政府・宮中・軍部の高官や貴衆両院議員参列の中、朝見式を行った。朝見式とは践祚後初めて公式の場に出て践祚を宣言する儀式である。なお、昭和天皇は政務は皇居でとったが、住居は依然東宮御所であった。皇居の住居部分の改装が終わり、昭和天皇と皇后が皇居に住むようになるのは1928年9月14日からである。 朝見式の際朗読した勅語は、事実上昭和天皇の施政方針を示すものであった。その主な部分は次の通りである。 今や世局は正に会通の運に際し、人文は恰も更張の期にあたる。即ち我が国の国是は、日に進むに在り、日に新たにするに在り。而してひろく中外の史に徴し(中略)其の中を執る、是れ深く心を用ふべき所なり。 夫れ浮華を斥け、質実をたっとび、模擬を戒め、創造を薦め、日進以て会通の運に乗じ、日新以て更張の期を啓き、人心惟れ同じく民風惟れ和し、あまねく一視同仁の化を宣べ、永く四海同胞の誼をあつくせんこと、是れ朕が信念最も切なる所。
要するに、世界の進歩に合わせて日本を改革し、「民主化」と協調外交を進めたいと述べているのである。当時の諸新聞は、この勅語を普選の実施による政党政治の進展を期待したものととらえていた。昭和天皇自身に引き付けて言えば、大衆的立憲君主制の実現を理想とし、そのために政党政治の確立を期すという意味になる。なお、進歩や革新といった言葉に相当する字句が頻出するところには、20世紀における人類の進歩という観念がなお強い時代だったことが伺える。 昭和天皇の勅語朗読姿は「実に立派にして、列席の文武百官悉く感涙に咽んだ」ようで、朗読ぶりがあまりに頼りないために泣き出す参列者もいた大正天皇の朝見式に比べると、幸先良い姿勢のスタートとなった。勅語の内容としても、大正天皇の時は明治天皇の業績を讃え、これを無にしないように努力するという受身的な内容であり、今回は国際関係を視野に入れた積極的な内容となっていると評価できる。ただし、国際協調の重視は、大正天皇が大正9年(1920)に発した「平和克復に付浮華驕者を戒めたまふ詔書」ですでに示されており、大正天皇の示した方針を継承したものということとなるので、父の数少ない業績はきちんと継承しているのである。 |