兵学修業と情報活動 ~水陸戦略~ |
松陰が初めて体系的に記した防御策であり、ここまでの兵学修業の成果を示す集大成ともいえる。にもかかわらず、現代の従来の研究では、片言隻語から松陰の誤りをあげつらおうとしたり、前後関係を無視して、例えば彼は長州藩を守ることしか考えていなかったなどと論評したりするものが実に多い。藩から藩の防御策を諮問されたのだから、藩の防禦を考えることは当たり前であり、むしろそれにもかかわらず松陰は日本全国の事を頭に入れていることの方にこそ注目すべきである。
主意 ・対外的脅威は全国の急務だが、三方を海に囲まれて敵の進路に当たる長州藩のそれは殊に重要である。「孫子」九変第八に「其の来らざるを恃む事なかれ、吾が以て是れを待つ事あるを恃め」とあるように、敵への備えが肝心である。 ・海外から攻めてくる恐れはないと主張する者には何の根拠があるのか。現状を見れば、英仏は西南から北東に進み、ロシアは極北の地から南下していて、日本を取り囲む形である。インドや清朝を屈服させ、オーストラリアやスマトラを押さえ、琉球や朝鮮に上陸しては無法を行い、カムチャッツカには拠点を設けている。これまで我が国に隙が無く、戦争の大義名分もなかったから、攻められなかっただけの事である。 ・近年の高名な海防論は、大艦巨砲の敵を恐れて弓と銃の連発をこちらの得意としている。しかしこちらにも大砲はあるし、弓と銃を一緒くたに用いては役に立たないことぐらい知るべきである。これは古くからの兵法を蔑ろにして言うのではなく、器械制度が変われば形も変わるだけのことで、その理は変らないのである。 ・西洋輸入の砲術家と古くからの兵学者とは仲が悪い。国の大事なのだから、お互いに討論研究すべきである。 ・泰平の中で、武器はあり軍役の制度は残っているが、それだけでは役に立たない。大事なのは、日ごろの訓練である。 総論 ・用兵にはまず地理をわきまえなければならない。 ・地形と敵方の動きによって効果的な戦法は変わる。 ・大事な場所には、速やかに連絡し応援する準備を整えておく。 ・海防で大事なのは水軍の訓練である。 ・島々を守るには船が必要である。 海戦 ・海戦では速さが大事である。速い小舟を2,30艘集団で動かせるよう訓練する。 ・島々を堅く守れば、敵も萩などへは容易に近づけない。 ・海戦は我が国の得意ではなく、ここに述べたのもさしたることではない。しかし、こちらの弱点にならないようにはすべきである。 海岸守備 ・海岸守備については大砲を設置して攻め来る敵を撃つ他ないから、砲術家から聞いた通りを述べる・・・・。 ・ただしこれらは机上の空論であって、訓練しなければ内実を伴わない。 陸戦 ・広々とした野原では大砲が最も有効である。 ・山間や狭い場所では、地の利があるこちらが様々な奇兵を用いることができる。正兵は大砲、奇兵は小銃で武装する。 廟堂の勝 ・敵味方の距離が縮まったときには、刀剣で戦う準備がなければ対応できない。銃砲があれば刀剣はいらないという説もあるが、それでは戦機が狭くなる。 ・右は戦場でいかに勝つか述べたものだが、その前に廟堂の勝、つまり戦う前に整えるべき準備がある。それは仁政を施すことと、軍備を整える(士気を励まし、訓練を積ませ、兵器を備える)ことである。
松陰は、亦介や宇右衛門の教えを受け、西洋の勢力があたかも日本を包囲するかのように迫っているとみる。そのうえで、この危機に対応するためには必ずしも山鹿流兵学だけに拘泥しないが、理由なく安易に新しい説に飛びつくこともしない。そしてなおかつ、戦場の物理的な側面だけでなく、仁政を施し全うする廟勝論や敵を迎え撃つ士気が重要であると指摘している。 実際、松陰が大きく見誤ったのは、砲術家に教わったままであると自覚していた彼我の大砲の精度・威力の比較ぐらいであって、その他については得られる限りの情報をうまくまとめ、わからないことについては率直に相当の留保を置き、空論を排してとにかく試行錯誤を重ねておくことが大事である、と繰り返し論じている。 ある知識をむやみに重視したり軽視したりする事無く、現実を重んじ、実際に用をなすか否かを重んじる。そのような姿勢はこれから先、次々と移ろっていく激動の情勢の中で、局面ごとに動揺することなく判断を下す、松陰にとっての思考の支えとなるのである。 |