首相チャーチル ~我々は戦い続ける~ |
戦局は急速に悪化した。5月15日にはオランダ軍が降伏し、ベルギーの英仏軍は分断された。イギリス派遣軍は海岸を目指して退却を開始した。フランスのレノー首相は、イギリス空軍の来援を矢のように要請した。イギリスの協力がなかったためにフランスは敗れたという口実を用意しようとしているかのようであった。チャーチルはもっぱらこの政治的理由の為に空軍の派遣に同意したが、イギリス本土の防空の責任者ダウディング将軍が戦時小内閣に出頭し職を賭けて反対したために、空軍の増派は喰い止められた。もしチャーチルの主張が通っていたら、次の「イギリスの戦い」での勝利はなかったであろうと言われている。ベルギー軍は28日に降伏した。その前日には、イギリス軍のダンケルク撤退が開始された。チャーチルは、「苛酷かつ重大な凶報」に備えるようラジオで国民に警告した。
撤退作戦の開始された日の翌日、チャーチルは戦時小内閣閣僚以外の通常の閣僚と初めて顔を合わせた。戦況を概観した後、彼は何気なく「もちろんダンケルクで何が起きようとも、我々は戦い続ける」と付け足した。それに対する反応は、「戦前に正しかったか誤っていたかはともかく、あらゆる見解を代表する25名の老練の政治家と議員というこの会合の性質から考えると、私には大きな驚きであった。多くの者が私の椅子のところへ駆け寄り、大声をあげ、私の背中をたたいた」イギリスが戦争を続けるという正式の閣議決定らしきものは、このようにしていささか威厳を欠いた形式で行われた。 だが、その前日27日から28日の午後にかけて、戦時小内閣では交渉による平和を求めようとする最後の努力が行われていたのである。外相ハリファックスは、「イギリスの独立のためには死ぬまで戦う用意がある」と前置きしたうえで、もしこの独立が交渉によっても確保されるならば譲歩することを考えねばならぬと提案した。チェムバレンは、ムッソリーニが仲介の労をとれば、対独講和条件の一部としてジブラルタルとマルタ島をイタリアに与えることも考えられると発言している。それにたいしてチャーチルは、イタリアであれアメリカであれ、講和の調停を依頼することを一切拒否した。「戦いながら倒れた国民は再び立ち上がった。おとなしく降伏したものはそれで終わった」
いささか奇妙なことであるが、イギリス国民はダンケルクの撤退に大きな安心感を感じたようである。イギリス兵は大陸から本土に帰って来た。「われわれだけになった。これからはうまくいくだろう」、これが島国国民の心理であった。撤退作戦成功を報告する6月4日の下院の演説で、チャーチルは言う。「戦争は撤退によって勝てるものではない」この演説は、あくまで戦い続ける決意を表明した有名な一節で終わっている。「ヨーロッパの大部分の領土と多くの古くて有名な国々がゲシュタボと嫌悪すべきナチの支配装置の手中に落ちたとしても、また落ちようとしても、我々は怯みはしないし、挫けはしない。我々は最後まで戦い続ける。フランスで、海で、そして募りゆく自信と戦力でもって空で戦う。いかなる犠牲を払っても、我々の島国を守るであろう。海岸で、上陸地点で、平原と街路で、そして高地で戦う。我々は決して降伏しない。私は一瞬たりとも信じていないが、万一この島国ないその大部分が征服されて飢えることになっても、海の彼方の帝国はイギリス艦隊を武器として戦いを続けるであろう。神の御都合のよいときに、新大陸がその力をもって旧大陸の救出と開放に乗り出してくるときまで」最後の一句に、突如として「新大陸」が現れていることが重要なポイントである。 |