首相チャーチル
~ラジオ演説~
 

 ラジオ演説を繰り返す
1940年5月と6月、英国にとって実に暗黒の日々にチャーチルは何度もラジオで国民に語った。彼は多くの場合、下院で行った演説をラジオで繰り返した。彼には発音障害があり、そのため演説には入念な―時には何日もかけた―準備を凝らした。文章は長く、また荘重になった。人によっては、エリザベス朝風、シェクスピア朝、あるいはゴシックまがいなどと形容されている。このようなスタイルは、第一次大戦後のラジオとジャズの音楽の時代には決して適切なものではなかった。ボールドウィンやアメリカのルーズベルト大統領は、むしろ逆に、形式の整っていない短い文章をあたかも日常会話で親しく個々人に話しかけるような語調で語って、放送者として成功していたのである。
しかし、この時期のチャーチルは放送の専門家を驚かせるような記録的な聴取率をあげた。7月14日の放送には、成人の64%以上が耳を傾けたと言われている。また8月初めの世論調査では、いわゆる首相支持率で88%に達している。(反対7%)明らかに彼は、政党の枠を超えた国民的支持を受けていたのである。
 世相にマッチングしたチャーチルの演説
チャーチルの演説は、譬えて言えば歌舞伎役者が新劇の舞台に立ったのに似ていたという。普通の場合ならば、所作も台詞も大仰で周囲と全くかけ離れ、ひどいぶち壊し等と言う悪評が立ったに違いない。現在のイギリスでは、高校の歴史の教師が往時の感動を込めて彼の演説を暗誦すると、生徒は笑い崩れてしまうという。
しかしこの非常時にあっては、彼の演説の形式と内容がともに国民の心に食い入ったのだ。低音と雑音の強い当時のラジオでさえもが、演説の効果を強めることになった。
チャーチルの演説は、よく引用されるいわばさわりの部分だけを読むと、文章に装飾が多すぎていささか内容に乏しいように思えたりするが、全体としての演説は詳細な事実の報告を入念に組み立てることで構成されていた。
 6月8日の下院演説
6月8日の下院演説(10日後にラジオで放送)は、この時期にあっては当然のことであるが、最悪の事態の発生を報告し、そして最悪の可能性、つまりドイツ軍の侵入を警告することからはじっている。ここではたじろぐことなく最悪の可能性を語る言葉が、恐慌や絶望を掻き立てることなく、かえって逆に希望の言葉となった。予想されるドイツ軍の侵入方法が詳しく分析される。しかし、「あまり詳細には立ち入らない方が宜しい。他人に自分では思いもよらなかったことを思いつかせるかもしれないからである」その上で侵入に対する方法が、これまた詳しく語られる。戦闘機についてはイギリスが優勢である。落下傘で侵入してくる「紳士諸君に対しては、暖かく歓迎できるはずである」そして「忘れている方もあるようだが、われわれには海軍もある。」二度まで世界最強の海軍の海相を勤めた人物の口から出たこの言葉は、聴くものを大いに嬉しがらせたに違いない。そして新しい戦いが布告される。「…フランスの戦いは終わった。イギリスの戦いが今や始まろうとしている。キリスト教文明の生存はこの戦いに掛かっている。我々イギリスの生命、我が国の諸制度、我が帝国の長い歴史はそれにかかっている。」ここで聴く者の一人一人が、自分が今や大きな歴史の舞台に立たされていると感じる。そこでは各人の生命と安全と幸福だけではなく、歴史の運命が賭けられている。自己犠牲と奮起を求める結びの一句は決して空虚ではない。恐ろしいまでに緊迫した感情に満ちている。「それ故に我々は心を引き締めて各人の義務にあたり、もしイギリス帝国のその連邦が千年続いたならば、人々が「是こそ彼らのもっとも輝かしい時であった」と言うように振る舞おう。」




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