浦賀沖にやって来た黒船
 ~緊迫感が薄い~
 


 江戸湾防備
江戸湾岸の人々がこぞって黒船見物に出た。支配層にとっては苦々しい風潮である。あらぬ騒動が起きても困る。幕府は、二方面に気を配る必要があった。一方はペリー艦隊、もう一方は庶民や不穏な動きをしかねない連中である。両者に睨みを利かせるには、少数の旗本だけでは警備が間に合わない。すでに江戸湾の固め(警備)には、譜代大名の川越、彦根、忍、会津の四藩が動員されていた。ちなみに四藩とも海のない内陸藩である。
老中と譜代大名は、いわばヨコの関係にあり、直接的なタテの指令系統にはない。タテの命令系統は老中から奉行所である。したがって、老中から浦賀奉行所へ命令が届いても、浦賀奉行所から直接四藩に命令を出すことはできない。これが「幕藩体制」と呼ばれる政治形態である。指揮系統は複雑であった。非常時の確かな動員・命令系統が、まだできていなかったのだ。
噂の流布
黒船来航、そのニュースは瞬く間に国内を駆け巡った。公文書、浮世絵、狂歌・狂句、瓦版、手紙、日記、そして口コミ。
「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四はいで夜も眠れず」
煎茶の銘柄に「上喜撰」があった。「蒸気船」と同音である。煎茶を四杯も飲めば目が冴えて眠れない。四隻(四杯)の蒸気船では「夜も眠れず」。似た歌に「アメリカを茶菓子に吞んだ蒸気船 たつた四杯で夜も寝られず」があり、アメリカに飴をかけている。
「井戸の水あつてよく出る蒸気船 茶の挨拶で帰るアメリカ」
井戸とは、二名置かれた浦賀奉行の一人(江戸詰)の井戸石見守との語呂合わせである。水質があって程よく出た上喜撰を飲んで、茶飲み程度の軽い挨拶で帰帆。確かに、ペリーの第一回滞在は、わずか10日間である。
「アメリカが来ても 日本はつつがなし」
筒(大砲)がないことと、つつがない(無事)を掛けている。
「日本へ向ひてペロリと舌を出し」
ペリーの名はオランダ語調にぺルリ、ㇸロリなどとも書かれている。ペロリあかんべ~か?
「馬具武具屋 渡人さまとそっといひ」
泰平の時代が続き、馬具や武具を扱う商売はさびれていたが、黒船来航でいよいよ天下大乱か。商売繁盛、だが大声では言えない。
「兵糧の手当に米の値が上がり 武家のひそかに黒船さま」
武士の俸給は米である。まずは食用にしたが、残りは売って現金に換えた。兵糧手当に米の値上がり、ありがたや。
「永き御代なまくら武士の今めざめ アメリカ船の水戸のよきかな」
水戸とは対外強硬派と目された御三家の水戸徳川斉昭をさす。目の前の黒船が、長い平和ですっかりなまくらになった武士の覚醒剤となった。水戸殿は凱歌を下げる。
内容から見て、これらの歌は、10日間で終わった第1回ペリー来航の時に詠まれたものであろう。安堵した気配や、揶揄や好奇心が強く出ている。艦砲射撃で街が焼かれた、武士たちが艦隊に切り込んだなど、緊迫した様子のものは一切ない。俺が他ならぬ現実であった。




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