2・選挙
投票に行くべきか 

    選挙は偉大な発明??
選挙の投票、行くべきか行かざるべきか、民主主義では投票を強制してもいないから、当然しない権利もある。なので、行くべきだとか行かなくてはいけないなどというつもりはない。しかし、選挙はあまりコストをかけずに社会を良い方向を持っていくことができる偉大な発明であるということも事実である。
たとえば、政治に多くの人が不満を持っている状況を考えてみる。選挙がある時とない時では、どのような違いが生じるだろうか。
選挙のない世の中、例えば昔の日本、わかりやすい例えでいえば「テレビドラマの時代劇などに代表される劇画化された江戸時代」であれば、どうだったのだろう。実際の江戸時代には、今日の投票に近いものもあったので一概には言えないのだが、代官とか悪徳商人らが結託して圧政を敷いていても、人々はまず我慢をする。どらまでは、暴れん坊将軍や天下の副将軍、あるいは大岡越前のような名奉行様が活躍するが、全国をカバーするには手が足りない。なので、ただ我慢するしかないとすると、不満はだんだんと大きくなり、ついには一揆や直訴が起こる。流血や暴動などの騒動は、いったん起きるとなかなか収まらない。激しい主張のぶつかり合いには穏当な「落としどころ」などない。いつ起こりいつ終息するのか予想し制御することは、不確実なことが多いので難しい。
しかし、民主主義の下では自由で公正な選挙が行われればどうだろうか。人々は、選挙の当日に投票所に行って少し手を動かせば、統治者が変わることもあり得る。流血や暴動は極めて少なくなる。選挙戦はルールにそって競われ(そのルールをかいくぐることもあるが)、決まった日の代替いつもの時刻にほぼ結果がわかる。そして選出されたリーダーが「落としどころ」を話し合う。選挙のプロセスがうまく運べば、予測可能性が高まり、人々の納得も得られやすくなる。このように社会的なコストをあまり伴わず、しかも劇的に政治状況を変えられる選挙は、人類の大発明であろう。であれば、この発明を廃れさせないほうが良いのではないか。廃れさせないためにも、なるべく多くの人が選挙を利用したほうがよいはずだ。
    選挙は成長のチャンスになる? 
1980年代には、まだ選挙をきちんとやっていない国が世界には多かった。これらの国々では、民生や教育にかけるよりも軍事や治安に大きな予算が咲かれていた。権力を維持するためには、力で押さえつける必要があったからだと考えられる。他方、この時期でも選挙をやっていた国々では、反対に民生や教育の予算が多かった。再選には人々の支持が必要であり、人々の歓心を買う政策を行う必要があったからだと推察される。選挙はみんなの役に立つ。
さらに言うと、選挙は個人にとって成長のチャンスにもなりうる。選挙はだいたい1~2年に一度はあるが、その時に、国や地域の将来が大きく決まる。その機会に参加していなければ、知らないうちに税金が上がったり、供与型の奨学金が貸与型になったり、市民夏祭りが無くなったり、敬老バスが廃止されたりするかもしれない。参加していても、そういうことはありうるのだから、参加していなければ、なおさらそんな話は聞いていないという状況が増えるだろう。逆に、候補者や政党の考え方に注意深く耳を傾ければ、政治に対する知識や関心が増し、投票という選択を適切に行うことができる。結果的に騙されてしまうこともあるだろうが、経験を重ねることで、判断力が身についていく。そして個人の積極的な参加は、社会全体にとっても、パットナムの言うソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の育成に資するはずである。



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