戦国大名の概念
~戦国大名とは~
 

 単なる学術用語に過ぎない
戦国大名と一口に言うが、その実態は如何なるものなのだろうか。
そもそも、戦国大名という用語は、戦国時代当時に使われていた用語ではなく、後世における歴史用語、すなわち学術用語である。したがってその定義については諸説あるのが現実であり、さらに、「戦国大名」という用語すら、不必要とする学説も出されている。とはいえ、戦国大名として想定されている主な対象は、相模の北条氏、甲斐の武田氏、駿河の今川氏、越後の上杉氏、安芸の毛利氏、豊後の大友氏、薩摩の島津氏など、大まかな一致を見ている。これらに共通するのは、戦国時代に存在した一定の地域を支配する「家」権力、という性格になる。したがってこうした存在を差し当たって、「戦国大名」と括るのは有効であろう。それらに共通する性格、さらには前後の時代の政治権力との相違を追及していくことで、その定義を確立していけばよいということになる。
 領域権力
また、そのような地域権力については「領域権力」と呼んでいる。支配が及ぶ地域が面的に展開していたからである。それは当時「国」と称された。そのため戦国大名が支配する領域を、領国と呼んでいる。領国は、線引きできるような、いわゆる国境で囲われた面として存在していた。その領国では、戦国大名が最高支配権者として存在した。領国は、他者の支配権が一切及ばない、排他的・一円的なものであった。そこには天皇や室町幕府将軍等の支配も及ばなかった。こうしたことは、戦国時代が、室町幕府が存在していたとしても、室町時代とは本質的に異なる、時代の特徴を示している。さらに政治権力が領域的に存在したことも、戦国時代以前の日本社会の歴史にはなかったことであった。排他的・一円的な支配の展開と、領域性は一体のものであった。
 家権力
上記を見ていくと、戦国大名とは、領国を支配する「家」権力ということになる。なので、「戦国大名」はある特定の個人を指すような概念ではない。一般的には、戦国大名家の当主をそのまま「戦国大名」と考えがちになるが、理屈から言うと決してそうではない。大名家当主は「家」権力の統括者という立場であり、権力体としての「戦国大名」は、大名家当主を頂点にその家族、家臣等の構成員を含めた組織であり、いわば経営体ともいえる存在である。




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