乱世再び ~前田利長屈服~ |
ちなみに、浅野長政は、家康に対して二心のないことを示すため、家督を嫡男幸長に譲ると、あえて家康の領国である武蔵府中に隠棲している。こうして長政の嫌疑は晴れ、長政・幸長父子は関ケ原の合戦でも家康に従うことになったのである。 大野治長と土方雄久は、ともに関ケ原の戦いでは家康に従って赦されるのだが、大野治長は大坂の陣では豊臣秀頼を補佐して家康と一戦を交えることになる。
謀反の疑いは、前田利長の縁戚にあたる細川幽斎・忠興父子にも向けられた。このため、幽斎は家康に対し、二心のないことを誓うとともに、忠興は三男の忠利を人質として江戸に送ることにしたのである。 こうしたなか、領国の加賀で対策を練っていた前田利長も、ついに重臣の横山長知を大坂にいる家康のもとに送り、弁明に努めている。その結果、利長は父利家の正室で実母である芳春院(おまつの方)を人質として差し出すことで赦免されることになった。これにより、利長と家康との間に和睦が結ばれるが、実際には利長が家康に屈したに等しい。以後、利長は家康に従って行動することになる。
ちなみに芳春院は、その後15年間を江戸で人質として暮らし、慶長19年(1614)利長の死没により、すでに家督を継いでいた弟利常の実母である寿福院と交替し、加賀へと帰国している。 |