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藩へ出仕 ~斉彬が藩主に~ |
騒動によってたくさんの血が流れたが、藩主となった斉彬は報復を行わなかった。お由羅派を弾圧することをせず、また斉興に不当に処罰された者の赦免も非常にゆっくりと行った。慎重に対応することで、再び党争が起こらないように努めたのである。派閥争いがその後起こらなかったのは、斉彬の賢明な判断があったからだった。
この年の7月、祖父の龍右衛門が死んだ。さらに9月には父の吉兵衛が病死し、さらに11月には母マサも亡くなった。よって若干26歳の西郷が家督を継ぐことになった。 小さい3人の妹と、3人の弟、祖母を抱えての生活は並大抵のものではなかった。唯一の救いは6歳下の弟・吉次郎がしっかり者で、必死に働いて家計を助けてくれたことであろう。しかし、新婚の西郷夫婦に生活の厳しさが重くのしかかった。結局、親代々の下鍛冶屋町の家を売り払って、郊外の上之園町で借家暮らしをせざるを得なくなってしまった。 |