西郷の生い立ち
 ~西郷誕生~
 


 誕生
西郷隆盛は、文政10年(1827)、城下の鹿児島の下鍛冶屋町に長男として生まれた。父は吉兵衛隆盛、母は政子(マサ)で、幼名は小吉。16歳ころから吉之助と名乗った。あだ名は、目が大きかったことから「ウド目」「ウド様」と呼ばれた。
西郷は小さなころから肝が良く据わっており、何事にも動じなかったという。ありとき、豆腐を買いに行った帰り、悪友が道の角で驚かした。悪友は西郷が慌てふためいて豆腐を落とす姿を想像していたが、西郷は豆腐が入った籠をそっとおいてから「ああたまげた」と言っただけだった。
 極貧だった西郷家
西郷は妹3人弟3人の7人兄弟で長男だった。長女は琴、次男は吉二郎、次女は鷹、三女は安、三男は信吾(のちの従道)、四男は小兵衛である。吉兵衛の父母も健在だったため、11人という大家族だった。親戚も併せて16人の大所帯だった時もあったという。これはまじめで面倒見の良い吉兵衛の性格によるものだったが、そのためいつも台所は火の車だったようだ。
西郷家の身分は武士であったが、城下士(10の階級に分けられていた)の下から2番目の御小姓与という下級武士だった。これは与力や足軽の上という身分の低さで、その生活は貧窮のどん底だったという。
西郷家の知行は150石以下だったが、薩摩藩は籾高なので他藩のように玄米高になおすと75石で、その知行も借金のために売り払ってしまい、無高の状態であった。
吉兵衛は勘定方小頭を勤めていたが、日置島津家や赤山家の会計役も引き受け家計を支えていた。しかし子だくさんの上に吉兵衛の父母も健在であったためその暮らしは苦しく、色々な貧乏話が伝わってくる。冬の寒い夜も兄弟姉妹は一枚の布団に四方から足を突っ込んで寝たし、西郷はいつも弟や妹に食事を譲り、腹いっぱい食事をしたことがなかったという。また、城下から8キロも離れた畑で芋や麦を作り、早朝から農作業に励み、月明かりの中を帰宅した。さらに弟や妹の竹骨削りの内職を行ったという。
この貧しい生活が、贅沢を好まずに逆境に耐え、深い思いやりを持つ西郷の人格を形成していったといえる。




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