立春
 旧暦1月5日
(新暦 2月4日頃)
 


立春は、暦の上では春が始まる日であり、旧暦では、立春に近い新月の日を元旦としていた。つまり、江戸時代の元旦は、季節の上では春とされていたのである。これは、旧暦では1~3月まで(新暦の2~4月)が春とされていたためで、年賀状に「新春あけましておめでとう」などと書くのは、その名残である。

現代では、元旦から営業している店も少なくないし、大晦日から元旦にかけて人々は神社仏閣に詰めかけるが、江戸時代の元旦の江戸は、大通りに軒を連ねる商店はことごとく閉まり、人っ子一人いないという静けさであった。江戸の町人は大みそかまでツケの取り立てに奔走したり、または夜通し馬鹿騒ぎをしたりして過ごし、元旦は寝正月で過ごす、というのが正しい(?)年末年始の過ごし方だったのである。

しかし、江戸詰めの大名や武士はそうはいかず、明け六つ(午前6時頃)から江戸城に登城して年始の挨拶をするしきたりがあるため、寝正月を決め込む町人たちを横目に、あわただしく新年を迎えていた。
ちなみに、将軍への新年の挨拶は登城順ではなく、諸大名の家格や石高によって順番が厳密に決められていた。そもそも大名は、特別な年中行事の時しか江戸城に登城していなかったのである。

現代の家庭ではあまり見られなくなったが、現在も残っている正月の風習としては、門松と注連飾りがある。家の門の前に飾られる門松は、年神が降りてくる目印・依代(宿る場所)であり、玄関や柱に注連飾りをすると災いが家に入るのを防ぐとされていた。

また、立春の日に恵方の井戸から汲んだ水は「若水」と呼ばれ、これを飲むと一年の邪気を払えるとされていた。ここから、若水は元旦の早朝に汲む水となり、神棚に供えてから飲食に利用する風習が生まれたのである。




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