乱前夜 ~筒井氏の内訌~ |
幕府にとって、筒井氏は大和で最も信用できる武士である。大和情勢を安定化させるためには、筒井の内紛を早期に収束することが望まれる。幕府は、順弘でも光宣でもない、第三の人物に白羽の矢を立てた。京都相国寺の僧侶となっていた順弘・光宣の弟である。10月8日、幕府は彼を筒井氏の惣領、そして官符衆徒に任命した。筒井順永の誕生である。光宣はこの措置に不満であったが、順弘に対抗するため、順永の家督継承を認めた。
だが筒井順弘もまた、五ヶ関代官の地位を狙っていた。順弘は立野一族と共に、光宣のいる弥勒院を攻める準備を進めていたが、11月11日、順永・光宣が逆に順弘の立て籠もる眉間寺を攻撃した。順弘らは敗走し、順弘等の救援に間に合わなかった南山城の木津父子や狛下司は般若寺坂の辺りで討たれた。光宣方でも山村や郡山辰巳などが戦死した。
翌嘉吉3年正月、筒井順弘は越智氏の助力を得て、筒井城に入った。光宣や順永は姿をくらました。だが翌月、順弘は一族・家臣らに背かれ、殺されてしまう。光宣の謀略であろうか。光宣・順永は筒井城に戻った。 こうして筒井順永・成身院光宣は筒井氏分裂を克服したが、彼らにとって真の敵は、反筒井勢力を束ねる経覚であった。 |