大陸軍の戦略・戦術
1、比類なきリーダーシップ
~ナポレオン戦略の現代性~
 

 ナポレオンの常用戦略
「機動・集中・突破・分断・各個撃破・追撃」の組み合わせによるナポレオンの決戦戦略が、最も威力を発揮したのは、平野や丘陵・河川・湖・集落等が適度に散在している北部イタリア、ドイツ・オーストリアの中・南部地域である。それは、「糧を敵によるナポレオンの現地調達主義の兵站戦略」を可能にする地域でもあった。
ところが、ロシアの雪の大平原、エジプトの炎熱の砂漠、スペインの産地における敵の退避作戦・ゲリラ戦・消耗戦に対し、ナポレオン戦略は機能不良となり、敗北の道をたどる。
しかし、ナポレオン戦略は、現代の核戦略にも通用する普遍性をもっている。つまり、第一線兵力をもって包囲攻撃をすると見せかけ、敵に延翼や分散を強要し、敵主力の一部が薄弱になったところへ、第二戦兵力を投入して突破する彼の常用戦略は、現代戦にも応用できるのだ。
通常戦力と核戦力を組み合わせ、核兵器を使うと見せかけて、敵戦力を分散させ、実際には通常戦力をもって相手を撃破する戦法であり、その意味でナポレオンの戦略は現代もなお生きている。
 ナポレオンの「富国強兵」
ナポレオンは、新しい兵器や兵制を創始したハードウェアのメーカーというよりも、むしろ既存の兵器や兵制を実用化し、巧みに運用したソフトウェアのメーカーであり、彼の真価はそこにあった。同時に、彼は有形無形のものを戦力化する知恵と努力に優れていた。それは単に戦争に勝つ為だけでなく、外交を有利にするためのものでもあった。
「外交は、華麗に礼装した軍事である」と明察していたナポレオンは、戦わずして勝つため、外交上の立場を有利にする為、あらゆるものを戦力化し、総合的なミリタリ―バランスの優位を確保することに優れた能力を発揮した。
いわゆる教育の戦力化、情報・広報の戦力化、宗教の戦力化である。
そして、ナポレオンは人間の名誉心をも戦力化する。
「イギリス人には尊敬すべき多くの美徳や長所があるが、フランス人に比べて名誉や栄光を求める心に欠ける。フランス人が自由、平等を愛する国民であるとは、私は信じない。彼らを10年の革命で変えられはしない。しかし、ガリアの時代の昔から、フランス人は誇り高く、名誉心を持っている」
これは、ナポレオンがセント・ヘレナで語った英仏国民性の比較の一部分である。
 宗教・信仰をも戦力化
1804年、ナポレオンがレジョン・ド・ヌール勲章を創設した背景には、上記のようなフランス人の国民性と、権力の根源に関するナポレオン独自の洞察があった。
「人間を動かす二つの力がある。アメとムチ、利益と恐怖である」
ところが、その勲章の創設には反対者が多く、敬愛するカノーまでがはじめは反対した。しかし、ひとたび制度化されるや、国民や兵士に歓迎され、士気の高揚にも大いに役立った。
「教育とは血を流さない革命である」とは、ナポレオンの言葉としてフランスのサンシール士官学校に語り伝えられているものである。1803年、ナポレオンは新しい士官学校をフォンテンブローに創設し、5年後にはパリ郊外のサンシールに移して、本格的に開校した。身分階級の上下や差別なく、実力第一主義の入学試験を行い、戦場で役に立つ実戦的な教育訓練を重視し、役に立つ士官候補生を軍に送り込み、軍の精強化を図った。
ナポレオンは革命の成果としての「教育の平等」をまず軍の士官学校の場で実行するとともに、宗教と教育の分離など、学校教育の改革と近代化を断行し、国家や社会で役に立つ実力主義教育制度を推進した。
「身分や階級で差別しない実力主義の社会を造ることを革命というなら、教育はまさに血を流さない革命である」とは、ナポレオンの言葉である。
また、宗教と社会・政治との関係については次のように語る。
「宗教なくして国家は無秩序となり、財産の不平等なくして社会は成り立たない。そして財産の不平等を成り立たせるものは、宗教であり、神のおぼしめである」
彼自身、決して宗教心の篤い人間ではなかったが、宗教が政治や戦争に役立つことをよく知っていた。宗教や信仰は人間を狂信的にするとともに、人間を絶望から救うのに役立つ。神の力や救いを信じることは、兵士たちが過早に絶望し自暴自棄に陥るのを防ぎ、逆境に耐えるのに役立つ。耐えることにより情勢が変化し、戦況の好転にも乗じることができる。
宗教は、人間の力を超えた神の存在を信じることにあるが、それは権力者や指揮官が自信過剰や独善に陥るのを予防し、謙虚になるのにも役立つ。さらに来世の楽園を信じることにより、死の恐怖を少なくし、戦場で勇敢に行動できる・・・・。
このようにナポレオンは、宗教や信仰をも巧みに戦力化したのである。




TOPページへ BACKします