大陸軍の戦略・戦術 2、勝利への戦略五原則 ③ 戦争開始の初期配置では麾下の兵団を広域に分散配置する |
ナポレオンは開戦すると、麾下部隊を広い地域に分散して配置した。これによって敵は、ナポレオンの主攻撃目標がどこにあるのか判断することが困難になった。また、最初の戦略目標が状況の推移に伴い変更された場合にも柔軟に対応し、新たな目標に戦力を集中投入することができた。 そしてこの広域分散配置を可能ならしめたのが「軍団」制であった。 革命以前の戦争では、一国の軍隊は一人の指揮官の下に密集して移動し戦闘を行うのが一般的であったから、ナポレオンの軍団制は画期的なものでもあった。 それまでもフランスでは、1740年代にサックス元帥が、1770年代にはブローグリー元帥が同様のコンセプトを提唱したが、ナポレオンは1802~4年にかけて、それを恒常的なものとして改善、整備した。 軍団は強力な戦略単位である。 平均的な軍団は歩兵、砲兵、騎兵の各兵種の師団を含み、独自の補給能力を持ち、指揮官とそれを補佐する幕僚が存在していた。各軍団の兵力は9000~2万1000程度と幅があり、しかも開戦後でも必要に応じて増加あるいは減少した。軍団はそれ自体で一個の完結した軍隊であり、同数の敵と会戦を実施する能力を有していた。 したがって各軍団は、接敵を恐れることなくそれぞれが独自のルートを用いて別個に移動することができ、また移動した先では自力で補給を得ることができた。この柔軟な組織が、広域分散した大軍を自在に操る事をナポレオンに可能にさせ、分進させた軍団を敵捕捉と同時に急速に集結させ得た。 軍団制は「一人の最高指揮官の下に、ほとんど無制限の分散を可能とするパターン」であり、ナポレオンに粉砕された連合軍は、1805年以降にオーストリアが、1806年の後にはプロイセンやロシアが、同様の編制を取り入れ始めた。 |