台湾民政長官 ~生物学の原理~ |
台湾は「化外の民」として清国政府から放任されていたが、むしろそれゆえに、かえって実は非常な発達を遂げている。この「自治制の慣習」こそ、台湾における「一種の民法」である。それなのにこれまでの当局者は、軽率にもこうした自治の制度を破壊し、盛んに新たな法令を発して外観を整え、一件文明的な制度を一挙に導入しようとしてきた。これが失敗の根源である。今後の方針は、旧慣を復活させ、総督府は監督者の立場に立ち、弊害がある場合にのみ徐々にこれを改良していくこととすべきである。そうすれば行政も簡単になり、効果もはるかに挙がるだろう。これが後藤の立場であった。 この方針を後藤は児玉に説き、その同意を得た。そして台湾赴任直後に児玉が予定していた統治方針の声明を中止させた。統治は生物学の原理、すなわち慣習の重視によって行わなければならない、これを充分研究することなしに、概念的な施政方針を述べても仕方がないと後藤は考えたのである。
「ヒラメの眼を鯛の眼にすることはできない。鯛の眼はちゃんと頭の両方についているが、ヒラメの眼は頭の一方についている。それが可笑しいからと言って、鯛の眼のように両方に付け替えることはできない。ヒラメの眼が一方に二つ付いているのは、生物学じょうその必要があってついているのだ。それをすべて目は頭の両側につけなければならないと言っても、そうはいかないものである。政治にもこれが大切だ。」 「社会の習慣とか制度というものは、皆相当の理由があって、永い間の必要から生まれてきているものだ。その理由を考えずに無闇に未開国に文明国の制度を実施しようとするのは、文明国の虐政というものだ。そういうことをしてはならない。」 「だから我輩は台湾を統治するときに、まずこの島の旧慣制度をよく科学的に調査して、その民情に応ずるように政治をしたのだ。これを理解しないで、日本内地の法制をいきなり台湾に輸入実施しようとする奴等は、ヒラメの眼をいきなり鯛の眼に替えようとする奴等で、本当の政治という物をわからん奴等だ」 このような現地慣習の尊重は、今日の眼からすると不思議ではないが、「文明」に対する「野蛮」を見下す態度の強かった当時においては、やはり抜きんでた卓見であったというべきである。
このうち織田萬が著した「清国行政法」は、近代中国外交史の碩学によって「申告制度の包括的で体系的な研究として空前絶後というべきもの」と評価されている。こうした評価は、その他の成果についてもほぼ妥当するようである。 元来は政治的な目的から開始された事業であったが、調査には学術的な方法が貫かれ、強力なバックアップによって後世に残る文化事業が成立したのである。研究対象の膨大さと複雑さにいささかためらった織田に対し、後藤は、世界の文化の為になる事であり、日本人にしかできない大事業だからと言って説得したといわれる。つまりこれらは、後藤にとっても単なる政治的な事業ではなかった。世界の文化に貢献し得ることそれ自体に、彼は大きな喜びを感じていたのであろう。 |