ドキュメント上野介 ~横須賀製鉄所~ |
前年の長州征伐は戦わずして長州が屈服し、強硬論者の小栗を満足させたが、年が変わった慶応元年、幕府がどのような状況にあるのかを考察するとき、小栗は自信が持てない己に直面したのではないか。 「長州を屈服させられたのは薩摩の支持と協力があったればこそ。我らは今や、薩摩との提携なしには一日たりとも過ごせなくなってきているのではないか」 そんな折、新任の全権フランス公使、レオン・ロッシュが姿を現した。下関海峡を航行していた無防備の外国船を長州が攻撃したことに対し、諸外国は強く抗議し、容れられずとみるや、下関に砲艦射撃をあびせ、将兵を上陸させて砲台を破壊した。ロッシュの前任者ベルクールも下関攻撃を主張したが、本国政府の対日戦略が変更された後だったため承認されず、ベルクールの辞職、帰国となった。 そのあとを受けて任命されたロッシュだから、着任早々は幕府、朝廷、薩長などに対し等距離外交の姿勢を取っていた。しかし、薩摩に肩入れするイギリスとの対抗意識が強くなると、幕府と提携し、幕府の強化に協力することを外交姿勢の基本とするようになる。
栗本は幕府に仕える御典医の子だが、親を継いで御典医になるのを嫌い、蝦夷地(北海道)に移住して特例を適用され、幕臣の身分を獲得して箱舘奉行支配組頭に任じられた。北蝦夷(樺太)の踏査を命じられ、厳寒期の北蝦夷滞在を敢行して称賛を得て、元治元年に目付に任じられた。 来日したカションは鋤雲と再会し、在日外交団のうちでも格別にユニークなロッシューカション―鋤雲のトリオが誕生した。この頃の掟では、外国奉行でなければ公使に会うことは許されず、外国奉行であっても目付の立会がなければ会談はできなかった。しかし、フランス公使ロッシュは例外である。書記兼通訳のカションが目付の鋤雲と無二の親友だから、いくらでも融通が利いた。 ロッシュと幕閣との会談が重なるうちに、小栗とも接触する機会が増えたであろう。幕府が幕府としての責任を果たすため、軍事力備蓄への援助をフランスは惜しまないことを決めたのはいうまでもない。
造船所建設にかかる費用捻出の実際はどうなっているのか。気になって仕方がない鋤雲が小栗に尋ねたことがある。 「カネのことが心配になるのか。いまや幕府のやりくりは火の車。造船所を作らないとしても、そのカネで、他の何かを作ることはあり得ない。造船所を作っていれば、他の無用な事に無駄ガネを使わずに済むから、一石二鳥だ」 「造船所ができればたいしたもの。我々がお手上げになっても、土蔵付き売家ありといえる」 カネをつくるために、小栗は江戸勘定所という名の官営銀行を作った。10万両を資本金とし、江戸市民に融資して利子を執った。金融業務の一斉が三井に委託され、小栗と古い付き合いのある三野村利左衛門が業務を担当した。 10万両の資本では大した規模の金融はできないが、もしも長期にわたって運用できるならば、造船所建設の費用は幾分なりとも捻出は可能である。 だが、もう時間がない。小栗は時間がないことに気付いていたのだろうか。 |