甲陽軍鑑
 ~家職をおろそかにしてはいけない~
 


 学問をし過ぎてもよくない?
「甲陽軍鑑」は「品一」から「品五十九」に及ぶ書物で、景憲の元の主君武田信玄を中心に、越後の上杉謙信、尾張の織田信長、三河の徳川家康など当時の代表的戦国大名の合戦のあり方や言行を書いている。、あた、武田家の軍法や武士の心得などにも筆が及び、軍学を学ぶ最適な書物として、すでに近世初期には読まれていた。
まず、冒頭の「口書」では、この書物では、この書物の仮名遣いが誤りだらけである事を弁明し、漢文に直すことは無用としている。仮名書きの書物は、学問のない者にも読めるので、有用だからである。
武士は、大身小身ともに学問をし、知識を得ることが重要だが、書物を読むのは一冊、多くても二、三冊とすべきだ、としている。読む書物ばかり多く、武功の数が少ないのでは、「文弱な武将」と批判されるからである。
国持の大名でも、学問にあまり身を入れるべきではないのに、少身の武士が学問に身を入れるのは、なおさらよくない。それは、奉公が疎かになり、家職を失い、不忠節な武士となるからだ、とされている。
 それぞれの生業が大切である
「何れの道も、家職を失うことは残念なことである。その家職とは、武士の家に生まれたもので言えば、奉公である。奉公には二つある。一つは座敷の上での奉公、一つは戦争での奉公である。」
このように景憲が説くのは、家職を疎かにしてはいけないという事である。これはどの身分の者にも通用することであった。
「出家は仏道修行が家職である。儒者は儒学が家職である。町人は商売の事が家職である。百姓は、耕作することが家職である。このほかにも、諸細工人・諸芸能・その道々に自分が生業としたことに精進するのがよい。家職をいい加減にして他の事をして、精を入れるのは大きな間違いである。その間違いというのは、出家が学問を脇へ置き、武辺を心がけたり、武士が奉公の道を脇へ置き、学問を第一に思ったり、あるいは乱舞を好んだりすることで、これはみな家職を知らないということである。」
それぞれの生業に励むこと、それが人間としての務めであり、武士であれば主君への奉公こそが家職だったのである。

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