甲陽軍鑑 ~家職をおろそかにしてはいけない~ |
まず、冒頭の「口書」では、この書物では、この書物の仮名遣いが誤りだらけである事を弁明し、漢文に直すことは無用としている。仮名書きの書物は、学問のない者にも読めるので、有用だからである。 武士は、大身小身ともに学問をし、知識を得ることが重要だが、書物を読むのは一冊、多くても二、三冊とすべきだ、としている。読む書物ばかり多く、武功の数が少ないのでは、「文弱な武将」と批判されるからである。 国持の大名でも、学問にあまり身を入れるべきではないのに、少身の武士が学問に身を入れるのは、なおさらよくない。それは、奉公が疎かになり、家職を失い、不忠節な武士となるからだ、とされている。
このように景憲が説くのは、家職を疎かにしてはいけないという事である。これはどの身分の者にも通用することであった。 「出家は仏道修行が家職である。儒者は儒学が家職である。町人は商売の事が家職である。百姓は、耕作することが家職である。このほかにも、諸細工人・諸芸能・その道々に自分が生業としたことに精進するのがよい。家職をいい加減にして他の事をして、精を入れるのは大きな間違いである。その間違いというのは、出家が学問を脇へ置き、武辺を心がけたり、武士が奉公の道を脇へ置き、学問を第一に思ったり、あるいは乱舞を好んだりすることで、これはみな家職を知らないということである。」 それぞれの生業に励むこと、それが人間としての務めであり、武士であれば主君への奉公こそが家職だったのである。 |