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中野界隈の寺町散歩
 2、高円寺


 蚕糸の森公園
真盛寺宗延寺福相寺妙法寺西方寺松応寺長龍寺福寿院高円寺高円寺氷川神社
   ~このコースの主な概要~
新宿から地下鉄丸ノ内線で東高円寺駅からスタート。この界隈にもそこそこ飲食店があり、結構便利である。
駅からすぐに蚕糸の森公園があるので、そこを抜けていく。抜けたら早速寺院が見える。妙法寺は都内でも有数の大きな寺院なのでじっくり見ていきたい。ここからJR高円寺駅へ向かう方向にはお寺がびっしりとあり、完全に寺町になっている。数多くのお寺があるので、全部見るのは厳しいので好みに合わせて選びながら見ていきたい。散歩の最後になる高円寺は必見。氷川神社に参拝後、JR高円寺駅で終了。
  
 蚕糸の森公園 農林水産省の蚕糸試験場があった場所だったが、昭和55年(1980)に同試験場が茨城県つくば市へ移転した事に伴い、跡地を杉並区立杉並第十小学校の移転先と公園に整備し、公園として開園された部分が蚕糸の森公園となっている。この名前も、蚕糸試験場に由来するものである。現在も煉瓦造り試験場の正門が残されており、その名残をとどめている。
なお、防災拠点としての役割も担っているほか、公園の運動広場が隣接する杉並第十小学校の校庭と共用されている。これは、地域に学校を開かれたものとし、地域の人々に小学校への理解を深めてもらおうという趣旨である。

 
真盛寺 

天台宗真盛宗の寺院。越後屋を創業した三井家の菩提寺。寛永8年(1631)開創。本所にあった同寺を、天保年間に現在地へ移転。
客殿、庫裏は、細川公爵(旧熊本藩主)家の日本館を移築したものである。

 
宗延寺 

日蓮宗の寺院で、天正年間に創建された。もともと下谷にあったのを大正8年現在地に移転している。本尊は江戸十祖師の一つ。幕臣だった稲葉正休(まさやす)が堀田大老を刃傷したときの刀(初代虎徹)があるらしい。

 
福相寺 

日蓮宗の寺院で、天正17年(1589)下谷に創建。それから小石川に移転し、昭和12年現在地に移転した。

病気平癒の御利益がある「願満大黒天」と呼ばれた木造大黒天像が安置されている。

 
妙法寺 

元和四年(1618)、覚仙院日逕上人が母親の菩提を弔うため、その母親を開山とし、山号を母の名にちなみ日圓山とし、寺号を妙法寺と号した。
当時は目黒碑文谷の法華寺の末寺となったが、元禄十二年(一六九九)三月、身延山久遠寺の直末となる。
この時、法華寺から「やくよけ祖師」の霊像を迎え、妙法寺には多くの参拝客が来訪し、大いににぎわう。





 
西方寺 

浄土宗の寺院、本尊は阿弥陀如来。慶長2年開創。開基は徳川忠長という説がある。

四ッ谷追分より、大正9年現在地へ移転。

 
 松応寺  

曹洞宗の寺院、本尊は聖観音坐像。明暦2年(1656)浅草に開創。大正7年に現在地へ移転。幕末の経世学者佐藤信淵の墓がある。

 
長龍寺   曹洞宗の寺院、麹町から現在地へ移転。寺の石造地蔵菩薩立像には、小僧に化けて豆腐を購入しようとした伝説がある。
 
福寿院   

曹洞宗の寺院、本尊は金銅釈迦如来像。天正19年開創。明治40年四ッ谷から移転。

写真無し 
高円寺   

弘治元年(1555)開創。曹洞宗の寺院です。現在の高円寺の名前の元になったお寺である。
3代将軍徳川家光が、鷹狩りの際、雨宿りのために当寺に立ち寄り、時の住職が家光を将軍としてではなく一般の雨宿りの客として、さりげなくもてなしたことが気に入られ、家光は鷹狩りの度にこの寺に立ち寄るようになったことで、広く知られるようになった。これが何年も続いたことで、家光は世話のお礼に宇治からの木を取り寄せ、自ら手植えをしたとされ、この「お手植えの茶の木」は今も境内に見ることができるらしい。
またこのような徳川家ゆかりの寺であることから「三つ葉葵の御紋」を所々で見ることができる。
それまで当地は小沢村と呼ばれていたが、徳川家光が当寺の名から高円寺村と改称したとされ、それが現在の「高円寺」という地名に至っている。

 
氷川神社   創建は不詳だが、おそらくは源頼朝が奥州征伐の際、この地に安達藤九郎盛長に命じて社殿を建立させたとも、家臣の村田兵部某が高円寺村にとどまり農民となった時、大宮の氷川神社を勧請して創建したとも伝えらる。
高円寺界隈の鎮守社となり、戦後、馬橋4丁目にあった陸軍気象部に祀られていた気象神社を当社境内に遷座、祀られている。
 
 



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