大政翼賛会へ ~全体主義国家論~ |
この時期の近衛は、若者向けの言論活動が目立った。昭和14年(1939)6月21日に、東京市内麹町における二荒芳徳伯爵の主宰する社会教育専門学館という組織が開いた「近衛さんと語る夕」で、集まった30人あまりの若者に、「私は今の青年が昔の青年に劣っているとは思わない。非常時はまだまだ1年や2年で終わらない。皆さんが真っ先にあらゆる困難を忍んでこの時局を乗り切」るよう訴えた。
この講演で近衛は「世界が古き現状維持の精神とコミンテルンの赤化工作との間に挟まれて窒息せんとしつつあるとき、生々発展する世界史の本流に乗って之を再組織せんとする運動」は満州事変が端緒であり、今や断固として新秩序を想像すべきだという使命感を持てば、今日の苦しい負担を輝かしい将来の希望に転じることができるので、「日本の国際的使命を遂行する為には我々は内に於いて国民の思想を一にし政治経済の諸機構を整備」すべきことを「青年学生諸君に力説して其自覚を促し」たいと論じて、再び哲学的な正当化によって青年層に戦争協力を呼びかけた。
国家が個人に優先し、利己を超えた信念から生まれた思想が政治を動かすことが望ましく、日本の場合、利己を超えるには天皇絶対という日本独特の国のあり方が必要だというのである。典型的な全体主義国家論であり、近衛はもうこの時点で典型的なファシストといってよい。 |