日中戦争と近衛
 ~聖戦~
 


 日中戦争を正当化
杉昭和12年9月9日付の内閣訓令で、国民精神総動員運動が開始されたのに伴い、11日に近衛も参加した国民精神総動員大演説会が東京の日比谷公会堂で行われ、ラジオ中継された。その際の演説「時局に処する国民の覚悟」で、近衛は日中戦争の意義を正義人道のためとし、戦争の解決策として、中国に「一大鉄槌」を加えて戦意を失わせた上で、「支那の健全分子に活路を与えまして、これと手を握って俯仰天地に愧ぢざる東洋平和の恒久的組織を確立する」と新たに親日中央政権の出現を期待し、それと和平すべきであると提唱した。さらに、今回の戦争のような「歴史的大事業」が何らの困難なしにできると思うのは無理であり、「自分が一時間だけ余計に働いたならば、国家の持久力はそれだけ増すことになる。かくの如き自覚を持って全国民が国家総動員の内に織り込まれてくるならば、吾々に課せられましたる時代的使命を遂行し、発展的日本の為に一新紀元をつくることは決して困難ではない」とした。
その理由として、世界不安の根本的原因は、実質的な国際主義が充分実現されていないところにあるので、「日本の行動の本質は世界歴史の本流において、真の国際正義を主張せんとするもの」だからとした。そして、「世界は今や一大転換の期に際会致しているので、東洋の道徳を経とし、西洋の文明を緯とし、両者を総合調和して、新しき世界に貢献することは実に我が国に課せられたる重大使命」であると、格調高く結んだ。日中戦争とそれによる国民生活の悪化を、国家主義と世界史的視野から哲学的に正当化し、国民に自覚による協力を呼びかけたのである。
 好評だった演説
この演説は、新聞で「気品高く理義深遠、内に政治理論、国家哲理を含み、世界の文化史観にさへ触れ」と好意的に評され、ラジオ中継は地方の青年層に大好評だった。この演説の好評ぶりは、昭和15年までに少なくとも図書23冊、雑誌16種に転載され、ラジオ中継の録音がレコードとして販売されたことからもわかる。
この演説は、国家主義や国際正義論、国民の自覚など近衛の持論が織り込まれているのはもちろんだが、日中戦争の世界史的意義の強調や親日新中国政権との和平という構想は、演説前に刊行された東亜同文会発行の雑誌「支那」9月号掲載の中山優の記事にて初めて示されたので、中山論文の影響も大きいことは間違いない。
 聖戦化する
自国の戦争を哲学的に正当化したのは、日本の首相では近衛が最初であり、近衛の知識人政治家としての特徴が良く分かる。その一方、この演説で高尚な理念によって正当化された結果、日中戦争は批判できない「聖戦」となった。実際、間もなくマスコミはこの言葉を使い始める。たとえば、「読売新聞」10月7日付第二夕刊の紙面には「平和達成への聖戦」という見出しの記事がある。
近衛の持論からすれば、この戦争における日本の立場を可能な限り正当化することで、国民を団結させて中国に圧力をかけることで早期収拾を目指したと考えられる。しかし、清沢冽が「外交を一国の利害から出発させないで、思想的イデオロギーで進む場合には、そこには止まる限界がなくなる」と警告していたように、結果的には当事者国同士の妥協、ひいては戦争の早期収拾を極めて困難にする。その意味で、この近衛の演説は日中戦争史において決定的に重要な出来事であった。なお、国民精神総動員運動は、10月12日に官民の諸団体によって結成された国民精神総動員中央連盟によって実施されていった。




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