貴族政治家としての歩み ~貴族院議員~ |
院外における初の公的な政治活動は、大正7年2月13日に華族会館で行われた対支問題研究会への参加である。この会は、大木遠吉、寺尾亨、今井嘉幸が主催し、近衛の他に叔父津軽英麿、杉田定一、戸水寛人、安達謙蔵、小川平吉、副島義一ら百余名の政治家、法学者などが集まった。会の目的は、「支那の紛争は支那自身の為のみならず、日本帝国の為、ひいては東洋永遠の平和の為に之を取らざるところ(中略)支那問題の解決、換言すれば日支両国の親善提携は益々必要(中略)此のときに当たって政党政派の別なく国民として公正なる興論を喚起し、同問題の為に活動するを要す」というものだった。中国の安定のため日本が積極的に活動すべきだという世論を喚起すること、言い換えれば政治の民主化の進展を背景に、国民規模でアジア主義を推進していこうというのがこの会の目的であった。小川はもちろん、寺尾も対露同志会の参加者であり、近衛がアジア主義思想と深いつながりを持っていたことが良く分かる。
一方、大正7年4月29日付で内相辞任直後の後藤に宛てた西園寺公望の書簡に、「先立っては近衛氏に関し御無理申し上げ試み候ところ、早速御採用下され感謝の至り」とあるので、西園寺の勧めと紹介があったことは確実である。ただし、これは新渡戸の紹介もあった可能性を否定するものではない。
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