近衛の家族と生活
 ~人物~
 


 人柄
近衛は身長五尺八寸、メートル法に換算すると180センチ近くあり、当時としては大変長身である。「何しろ男前は良いうえに眼から受ける感じが、苦み走って申し分がない」という批評も、写真を見れば納得できる。
人柄については、外交官出身の政治家重光葵が、「公は個人としては談の好き交際人」と書いており、社交的な一面があったことがわかる。だからこそ多くの政治家や軍人が、近衛と知り合うことになったのである。酒の席で乱れることはなかったものの、興が乗ると小唄を口ずさんだりする洒脱な一面もあった。
 不眠症
一方、のちに近衛の伝記作家となる矢部貞治は、昭和15年6月1日の初対面の印象を、「近衛の眼は高貴で天成で、聡明。意志力なし」と日記に記している。気品を感じさせつつも意志の弱さを印象付ける面もあったことがわかる。
また、「何しろ僕はだいぶ前からひどい不眠症でね、十種類ぐらいの睡眠薬をあれこれといろいろと取り換えて飲むのですが、夜中にきっと十度くらいは眼が醒めてろくろく眠れないんです。だから習慣的に昼間寝ることにしている。」と不眠症と昼寝の習慣を公言していた。神経質な一面がうかがえ、かつ、意志が弱いという近衛評の一因がここにあることがうかがわれる。
近衛は、健康のため刺身など生ものは食べないといわれ、近衛本人も第一次内閣就任直後のインタビューで、主治医や妻の意向としてそれを認めている。ただし、山本ヌイ(近衛の愛人)は、発案者は山本の前に短期間愛人だった芸者だとしている。なので、誰の発案かは不明である。それに、「筆者の眼の前で、刺身も食ったし、生のイチゴも口へ運んでいた」という、山浦貫一の証言もあり、必ず守っていたというわけでもない。
 趣味
趣味としては、読書、ゴルフ、書道が自他ともに認める主なものである。読書傾向はあらゆる本や雑誌に手を出す「乱読」であった。近衛は、数多い住居の中でも都心から離れた鎌倉、軽井沢、荻窪の別荘に好んで滞在しており、社交好きの一面と共に、読書や思索の時間を持つ必要性も感じていたことがわかる。
近衛は、篤麿の子分格の右翼浪人たちの尽力で資産が守られたこともあり、経済状態は大変良く、愛人を作り、多数の土地家屋を所有していた。性格的には社交的に見える反面、神経質な一面もある人物であった。さらに言えば、社交好きや愛人との交際ぶりには、かつて家庭教師に寂しいと悩みを打ち明けたように、寂しがり屋の一面がうかがえる。




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