1・騎馬民族とは何か? ① 騎馬民族とその活躍舞台 アジアの地理的環境 |
アジアの地理的環境 |
騎馬民族というのは歴史的な存在であるが、騎馬民族が発生し、発展したのは、地理的環境に追うところが非常に大きなものがある。したがって、騎馬民族の問題を考えるためには、どうしてもまず、アジアの気候、地理、土壌およびそれに対応した、動植物界などの複合的な対人間関係、いわゆる地理的環境について概観しておく必要がある。アジアは地理的環境によって次のように大別される。 第一は、南太平洋とインド洋から吹き上げるモンスーンが支配する、温暖湿潤な地帯である。つまり、東北は日本列島、朝鮮半島、南満州、北シナの平野から、東南アジアの大陸部および島嶼部を含めて、西南は、インド亜大陸、セイロン島に至る太平洋西部、インド洋に面した地域である。 この地帯はモンスーンの影響を受けて、非常に温暖湿潤であるばかりでなく、その湿風が、アジアの屋根―ヒマラヤ山脈やチベット高原―に当たって生ずる大河川(黄河、長江、メコン河、ガンジス河、インダス河など)によって沖積され、灌漑された沃野に富み、そこでは植物がよく繁茂し、最も農耕に適した地域である。したがってこのモンスーン地帯に早くから農耕社会が発達し、また都市文明が起こったのも不思議ではなく、現在でもアジアの農耕民の9割以上がそこに住んでいる。 |
広大な乾燥地帯 |
第二は、このアジアの湿潤地帯の北から西にわたって、すなわち東は興安嶺、陰山山脈、南山山脈などによって、南はヒマラヤ、カラコルムなどの山脈によって第一地域から区轄され、西はカスピ海、国会の北岸地方にまで伸びている、内陸ユーラシアの乾燥地帯である。そのなかには、蒙古・青海・チベットの高原からタルパガタイ台地、タリム台地、ツラン台地、クルギース草原、南ロシア草原などが含まれている。 この乾燥地帯はユーラシア大陸の奥深くに位置している関係から、南からのモンスーンや、北からの北氷洋海風の影響を受けることがなく、すこぶる雨量に乏しい。したがってそこには、樹木や沃野の発達がごく局地的にみられるほかは、大部分が満目荒涼たる草原的・砂漠的広野で、おもに羊、山羊、牛、馬、駱駝などの放牧地として利用され、永く遊牧民の独占的な地域であった。最も湿潤地帯と乾燥地帯との接触する東方、長域地帯、甘粛・青海地方など、西ではフェルガナ地方、サマルカンド、ブラハなど、いにしえのソグディアナ地方、コーカサスなどがこれに属している。 またその中央部、すなわちパミール・チベットの高地、天山・アルタイの山脈などの周辺では、それらの高山から氷雪を溶かして流れくだるタリム河、イリ河、チュ河などによってうるおされる、大小のオアシスが点在している。ウルムチ、トルファン、クチャ、コータン、カシガル、クルジアなどのオアシスが、その代表的なものである。 |
交通の要衝でもあった |
このように、内陸ユーラシアの乾燥地帯は、概して放牧に好適な砂漠草原からなっているが、その東西両端では、農耕もまた可能な湿潤地帯への移行地帯を持ち、その中央部では、ユーラシア内陸の交通を容易にした、飛石のよおうな大小のオアシスを内蔵しているのである。したがってこの地帯は、ユーラシア遊牧民の不断の占拠地であったと同時に、その周辺には半農半牧民も居住し、オアシスの間には東西の交易路が開通して、早くから隊商の往来が盛んだったのも自然である。 |