関ケ原の戦いへの経過
 ~戦いの本質?~
 


 関ケ原の戦いの本質とは
プロイセン軍人のカール・フォン・クラウゼヴィッツが19世紀初頭に執筆した有名な「戦争論」の「第一部 戦争の性質について」では、戦争の本質として「戦争とは他の手段をもってする政治の継続に他ならない」と述べた後、以下のような記述がある。

すなわち戦争は、単に一つの政治的行動であるのみならず、実にまた一つの政治的手段でもあり、政治的交渉の継続であり、他の手段による政治的交渉の継続に他ならない。(中略)ところで個々の場合にわたって戦争が政治的意図にたとえどれほど強く反作用を及ぼしたにしても、その反作用は常に政治的意図に対して修正を加える以上のことができるはずのものではない。というのは、政治的意図は目的であり、戦争はあくまでも手段だからである。目的のない手段などとはおよそ考えられないことを見ても以上のことは明らかであろう。

つまり、戦争は政治の延長であると述べており、なおかつ戦争における政治の優位性を説いたものである。関ケ原の戦いほど、このクラウゼヴィッツによる戦争理解が当てはまるケースはないだろう。つまり関ケ原の戦いの本質は、石田三成・毛利輝元など反家康グループと家康を中心とした反石田三成グループによるすさまじい権力闘争に端を発しており、その政治的決着をつける手段として両グループが戦争を行ったのであり、政治的解決を図るために相互に武力を行使したのである。
この権力闘争では、徳川家康vs毛利輝元・宇喜多秀家・上杉景勝というように五大老が二つに分かれて戦ったことから、この戦争の勝敗の行方が、その後の国政のあり方を規定するという重大な政治的影響力を持ったのである。




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