山本権兵衛が作った海軍 ~海軍兵学校~ |
旧制中学校は、現在の義務教育の新制中学とは違い、修学年限は四年または五年であった。優等生は四年でも卒業できたのである。中学を卒業すると旧制高等学校に進学した。海軍兵学校の入学資格はこの旧制高等学校入学と同等であった。学力優秀な中学生の多くは旧制高校と海軍兵学校を天秤にかけながら選択した。海軍兵学校の入学試験競争率は平均で約20倍に達した。戦前の受験戦争の中には海軍兵学校入学試験も加わっていたのである。
海軍将校の出生の目標は大佐、キャプテン、艦長になることであったが、このためには海軍兵学校卒業が唯一の条件で、海軍大学校の卒業は特に重視されなかった。これに対し、陸軍士官学校卒業生は陸軍大学校を卒業せねばエリート・コースに乗れず、将官になる道は閉ざされた。実は海軍兵学校を卒業しても将官になることは簡単ではなかった。ただ、海軍兵学校を卒業すれば、全員居心地の良い一生を送ることが可能であり、優秀な中学生は海軍兵学校に進みたかった。 この陸士・陸大選抜方式は、陸軍将校団の間に閨閥を持ち込んだ。海軍兵学校にこの色彩は全くなく、学力と体力がすべての選考基準であった。太平洋戦争期の海軍提督に閨閥があったとしても、多くは女婿を取った関係であったのは、このためである。
現在のアナポリスの入学資格は、依然同じ高校卒業であり、アメリカの大学入学難易度の比較では1位のハーバード大学に比して、20番台と言われる。これに対し、イギリスの海軍教育の原点を作ったのはフィシャーで、1882年グリニッジ海軍大学を創設した。入学資格は海軍将校であり、事実上在職教育機関であった。 |