2・井上の情報・戦略 第四艦隊の複雑な任務 |
第四艦隊の常設のきっかけ |
井上のいくさ下手との評価を見極めるためには、不評を買ったウェーク島攻略と珊瑚海の海戦における井上の作戦指揮ぶりを見る必要があるが、その前提として、第四艦隊の任務、性格やその編成等に少しふれる必要がある。というのは、第四艦隊は連合艦隊の中の他の艦隊とは全く異なる任務、性格の艦隊であったからである。 連合艦隊の編成に第四艦隊が常設されるようになったのは、昭和15年度からであった。それまでにも連合艦隊の編成に第四艦隊が時折加えられたことがあったが、大演習などで臨時に編成されたもので、昭和15年度に常設されたものとは根本的に異質であった。 昭和15年、国際関係が緊迫したことにかんがみて、日本海軍は第一次大戦の結果として日本の委任統治領となっていた南洋諸島の防衛の急速な強化の必要を認め、それを担当する部隊として第四艦隊を新設したのであった。サイパン、グアムやパラオを含む南北約1600キロ、東西約4300キロにわたる広大な海域に点在する幾千の常夏の島々の防衛である。 南洋委任統治領は西南大西洋の中心部に横幅広く広がっているばかりではなく、大きな島こそないが、飛行場の適地もあり、艦隊泊地に適した珊礁もあって、海上作戦上の戦略的価値は絶大であった。アメリカ海軍を仮想敵として整備してきた日本海軍は、その委任統治領を浮沈の足場として伝統的な艦隊決戦で来航するであろうアメリカ艦隊と雌雄を決しようというのが、その作戦の根本方針であった。 だが、大正10年に締結されたワシントン海軍軍備縮小条約で日本が南洋委任統治領の防備をすることは禁止されたので、日本はその条約条項を守って委任統治領の防備をしなかった。昭和12年に日本は海軍軍備縮小条約脱退し、それによって委任統治領の防備禁止の制約も解けたが、昭和14年まではその防備強化にほとんど手を付けていなかった。 |
稚拙なる日本の防衛計画 |
一方、アメリカ海軍は日本と戦争となった場合には、それらの委任統治領の東端を攻略して進攻することを公然の秘密のようにしていたから、敵の進攻の恐れのある島嶼をいかにして守るかは不可欠の考慮事項であったはずである。 日本海軍には、戦争になった場合にいかにして委任統治領の島々を守るかについての具体的な計画はおろか、その前提となる青写真すらなかったようだ。戦前に日本陸軍に相談したことがあるようだが、体よく断られたという。戦争が始まった時、日本海軍には陸軍の一個大隊程度の兵力の海軍特別陸戦隊が約十隊あったに過ぎない。それも戦車など持たない時代遅れの軽装備なものであった。 アメリカと戦争になった場合の戦略上、彼我ともにきわめて重要な南洋委任統治領をどうやって防衛するかは、日本海軍の作戦当局者にとってこれ以上ない頭の痛い問題であった。陸軍の協力なくしてわずか十隊程度の海軍陸戦隊では広大な海域に点在する島々を守れない。それでは東端のマーシャル群島を捨てて中央部のトラック島まで退くか、あるいはトラックをもあきらめて最後の砦マリアナ諸島を死守するか。 だが、マリアナの最後の砦を死守するためには敵にトラックを渡してはならない。トラックを奪われないためには、マーシャルが必要だとなると、議論は元に戻ってしまう。 このような結論の出ない議論は、戦前だけでなく、戦争中盤になって連合軍の反抗が始まり、マーシャル諸島が危なくなった時でも、日本海軍は南洋諸島の防衛について同じような堂々巡りの論をするのである。 さらに、南洋諸島の防衛には本質的なハンディキャップがあった。その最たるものは、その位置が日本本土からきわめて離れていることであった。日本本土に一番近いサイパンでも約2400キロ。サイパンから東端のマーシャル諸島までもそれと同じくらいには慣れていた。現在と違い、当時はサイパンまで飛べる飛行機は飛行艇しかなく、それも横浜からサイパンまで約10時間ほどかかったし、毎日飛べるわけではなかった。 |
日本海軍の無計画な突貫工事 |
加えて、南洋委任統治領には島民も少なく、その産業としては南洋興発という国策会社がサイパン、テニアン、パラオ、ポナペで興している砂糖、パイナップル生産やそのほかの島をも含めた各地における水産業しかなかったことである。防備強化には膨大な量の資材や労力を必要とするが、その一切を日本から船で遠い南洋諸島まで運ばなくてはならない。日本から約5千キロもあるマーシャル諸島の無人島のような島々の飛行場建設が特に大変であった。建設に必要な労働力を民間から集めることができなかったので、刑務所で服役中の者を動員したほどであった。 昭和15年に第四艦隊が新設された時は、南洋委任統治領の防衛をどうするかの根本方針は前述のように決められていなかった。それにもかかわらず、同艦隊を新設したのは、時局が切迫したのに伴い同方面の防備強化の必要に迫られ、差し当たり、サイパン、パラオ、トラック及びマーシャル諸島の港湾防備と、陸上航空基地と水上航空基地の建設の促進のためであった。日本海軍は南洋委任統治領の地理的な要点から、多大な期待をかけて整備してきた中型陸上攻撃機や飛行艇を飛ばして、遠くに洋上に索敵、攻撃をかけようと考えていたから、後者の建設には特に重点を置いていた。前述の四要点には少将の司令官を核とする根拠地隊を置いて、それぞれの地区の防備強化を担当させた。 この艦隊編成は、内戦部隊である鎮守府の内地沿岸防備の考え方に基づいたものであった。南洋委任統治領はその戦略的な態勢から、日本とアメリカと戦争になった場合には、最初に火花を散らす地点であろうことは歴然としていたにもかかわらず(事実そうなった)、そのような必然性に対してほとんど考慮されなかったことは、重大な問題である。 |