失業問題を解決
~世界恐慌を回復~
 

 世界大恐慌
1929年10月24日、世界はかつてない試練を経験する。世界大恐慌である。
ニューヨーク・ウォール街の証券取引所から端を発したこの大恐慌は、あっという間に世界中に波及した。永遠に続くかと思われた資本主義経済の繁栄は、都市という都市に失業者を溢れさせ、自殺者や物乞いになる者が相次いだ。
この未曽有の経済危機で、最も大きな被害を受けたのはドイツである。当時のドイツ経済はただでさえ弱っていた。第一次世界大戦の敗戦で各国から巨額の賠償金を請求され、最大の工業地帯ルールをフランスに占領されたり、通貨の膨張によるハイパーインフレなどで、経済は極度に疲弊していた。1920年代後半になって、やっと経済が回復しかけたときに、今度は世界大恐慌に見舞われたのだ。
経済基盤の弱かったドイツはたちまち大混乱し、国内第2位のダナート銀行が倒産するなど深刻な金融危機を招き、やがて大不況に突入した。国民総生産は35%も減少し、失業者が激増、1932年には約560万人を超えた。実に労働者の3人に1人が失業していたのである。
 ヒトラーの登場
そのようなときに登場してきたのがヒトラーである。
ヒトラーは、大不況のさなか1933年1月に政権の座についた。それから3年後、ヒトラーは失業者を160万人規模にまで縮小させ、世界恐慌以前の1928年の状態にまでドイツ経済を回復させた。1936年の実質国民総生産は、ナチス政権以前の最高だった1928年を15%も上回っている。
これは世界恐慌で大きな被害を受けた国の中では最も早い回復だった。アメリカが世界恐慌のダメージから完全に立ち直れたのは、1941年のことである。
世界恐慌から10年後の1938年の各国の失業者は次のようになっている。
イギリス 135万人(最大時300万人)
アメリカ 783万人(最大時1200万人)
ドイツ  43万人(最大時600万人)
日本   27万人(最大時300万人)

 ブロック経済が不可能にもかかわらず
また世界恐慌以来、世界の列強たちは貿易を閉ざし、自国と自国が支配する植民地のみで交易する「ブロック経済化」が進んだ。アメリカのドル・ブロック、イギリスのスターリング・ブロック、日本も満州へ進出し、円ブロックを形成しようとしていた。
しかし当時のドイツは植民地をもっていなかったし、領土侵攻もしていない。つまりヒトラーは、国内政策だけで素早く景気を回復させたのである。(オーストリア併合などの侵攻は景気回復後の事である)
その経済手腕はかなりのものだと言わざるを得ない。だがヒトラーは、別に難しい経済理論を持っていたわけではない。「社会を安定させ、活気づけるためにはどうしたらいいか」ということを、自分の経験と知識から導き出したのである。




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