石田家のルーツ ~京極家の被官~ |
また、和歌山県有田郡湯浅町楢原にある極楽寺の系図をもとに、正継の父は北面の武士・下毛野氏の後衛であるが、その母方の名字を取って石田と改名したという見解もある。この極楽寺は、三成の兄・正澄の子朝成に始まるという寺院である。
また、「梓」では、京極氏が関を設けて関銭を徴していたことが知られており、関の管理に石田一族が関与していたといわれている。同村の常福寺の過去帳には、至徳3年(1386)から石田源左衛門の家系が連綿と記されており、室町初期ごろ、源左衛門の子孫で正継の曽祖父にあたる人物が、坂田郡石田村に転出したと伝えられている。 また、その一方で江戸時代に作成された、戦国期近江国の土豪リストである「江州佐々木南北諸士帳」には、「石田往」として「石田刑部左衛門」と「石田長楽庵」の二人を挙げている。後者の「長楽庵」は、能書家として知られた人物で、浅井家の祐筆を務めている。彼らも石田三成の祖先と何らかのかかわりがあるとみられている。 |