人間・土方歳三研究 1.剣の実力 ~豪農層だからこそ~ |
従って、各藩の藩士など比較的高級な武士がこの道場にはいることは皆無であった。勢い、多摩の豪農層に人材を求めることになる。だが、多摩の名主層が江戸の道場に通って剣術を習うことは、時間的にはほぼ無理である。そこで彼らは自宅に道場を作り、近藤周助や勇などから、出げいこという形で剣術を教わったのである。
このため、名主宅に剣術指南に訪れた近藤勇、沖田総司、土方歳三などは、自然に文芸上の影響を多く受けたと考えられる。土方家は小島家、佐藤家、本田家と親戚である。多摩郡谷保村の本田覚庵は漢方医で、かつ市川米庵の流れをくむ書家で、土方は同家で書道を学んでいる。 土方には上洛前に書いた「豊玉発句集」や上洛途中で作ったという木曽路の俳句があり、橋本家に贈った「橋本君一子を生むを賀す」という為書のある七言絶句がある。また、佐久間象山に書を頼み、これを佐藤家や小島家に贈っている。 |