土方を巡るエピソード ~石田散薬~ |
土方家ではこの牛額草を、毎年土用の丑の日に刈り取っていたという。ここで刈り取った牛額草を土方家で薬にしていたのである。
それによると、刈り取った草一貫目(3750グラム)を十分の一の百匁までに天日で乾燥させ、これを黒焼きにして鉄鍋に入れ、酒を適量に散布してから取り出し、再び乾燥させて薬研にかけて粉末にするのだという。これが石田散薬である。この粉末を一匁(3.75グラム)ずつに分けたものが、大人の一日の服用量とされる。 服用方法は、何と熱燗の日本酒で飲むことになっていたのである。子供は散薬と酒を半分にして一日二回に分けて飲むことになっていたが、大人の一日の量と変わらなかった。この薬の任期は、実はこの飲みかたによるものだったのかもしれない。 効能書には、接骨、打ち身、捻挫、筋肉痛などのほか、切り傷にも効果があると謳われている。鎮痛効果があると思われていたようだ。
だが、宝永年間(1704~1711)からこの薬を製造販売し、明治の代を経て、土方家では第二次世界大戦後もこの薬を製造していたという。ところが、昭和23年の薬事法の改正によって、成分分析が必要とされ、現物を添付して関係機関に提出し、製造販売の許可申請をしたところ、「無効、無害」との検査結果が出され、製造が終了してしまう。つまり、薬としては効果が無い、薬効はないが、服用して害になるわけでもないということである。そのため「売薬」としては許可されなかったが、「信じる者に分与する」事は許されたという。 |