紀元前3000年頃から約2000年にわたって、キクラデス諸島とクレタ島、ミュケナイを中心とするペロポネソス半島やギリシャ本土で相次いで始まった古代エーゲ海文明の美術をエーゲ美術と総称する。青銅器文明を背景に、金属工芸品や、極端に抽象化された石偶、クノッソス宮殿などが特徴的である。
やがて前12世紀のドーリス人侵入で新時代を迎え、前11世紀から前8世紀中頃まで幾何学様式期。コンパスを用い円弧や直線を組み合わせた幾何学的文様の陶器がつくられ始めた。
前8世紀末からギリシャは再び文化的隆盛を迎える。ギリシャ神話がユダヤ・キリスト教と共に西洋文化の二本の柱になるように、ギリシャ美術がその後の西洋美術の基礎となるのである。前8世紀末から前5世紀末(ペルシア戦争まで)をアルカイック期という。この時期、東方(シリア=地中海の東岸地域)との交易で刺激を受け、大理石で人体を作り始める。前5世紀半から前4世紀中頃(アレキサンダー大王の死の頃)までがクラッシック期となり、彫刻、神殿建築の技術は最高水準となる。前4世紀前半から紀元前31年ころ(アクティウムの海戦)までがヘレニズム期となる。
アルカイック時代はいかに静止像に動きを与えるかが造形課題であった。アルカイックという意味は、クラシック(完全な)に対して「古拙な」という意味の言葉である。ぎこちなさを残しつつ、生命感の表現としてのアルカイック・スマイルを浮かべる像がアルカイック期の特徴である。男性裸体立像ではエジプト美術の影響を受けた正面性の強い初期のものから、次第により自然の動きをもつ人体表現が目指された。女性立像では常に着衣姿が表現され、衣服の壁の美しさの表現に注意が払われた。彫像に限らずギリシャ美術には対比できる二つの様式が共存していた。「たくましい」「力強い」「男性的」なものをドーリス式、また「繊細な」「優雅な」「女性的な」ものをイオニア式と呼ぶ。これは建築の柱の洋式にも当てはまる。陶器の分野では、アッティカ地方で人物を黒いシルエットで表し、その中を細い線で削り取って絵を描く黒像式陶器がつくられた。
クラシック時代は、アルカイック期のぎこちなさが帰依、人体表現が完成された。直立不動の立像から、体重がかかる支脚ともう一方の遊脚によってコントラポストと呼ばれる自然でリアルな動きが表現できるようになった。彫像は均整のとれた優美な肉体と感情を抑えた穏やかな表情を持つ。生身の人間らしさではなく、完全な神の尊さを表すため、理想的な人体比例をとった崇高で荘厳な彫刻がつくられた。
陶器でも細かい表現が難しかった黒像式に代わり、背景を黒く塗りつぶし、人体の細部を筆で描く赤像式陶器、円筒状の器に白地をかけて絵を描く白地式陶器がつくられた。
ヘレニズム時代は、アレキサンダー大王の東征の影響で東西文化が融合し、ギリシャ世界が拡大、経済も発達し、市民生活も向上した時代である。美術はより現実的な人間の感情を表すものへと変貌、感情的な興奮や激しい動きを強調したバロック的な要素を持つ彫刻がつくられた。
それまでのテーマは厳粛な神の姿であったが、市民の力が大きくなるにつれて、一般人の像がつくられ始める。ソクラテスなどの有名人や、子供や裸婦のようにただ可愛いもの、美しいものと言った、感傷的で非英雄的なテーマの像が一般人の間で求められたのである。
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