江戸での活躍 ~自殺未遂~ |
しかし11月8日、月照は筑前藩・平野国臣や下僕の重助に護られて鹿児島入りしてしまう。そして匿ってもらうため知り合いの日高存龍院を訪ねたが、難を恐れた僧侶が藩庁に訴え出たため、藩役人によって藩御用の旅宿俵屋に移されてしまった。俵屋は高級な旅館で丁重なもてなしを受けたが、面会は禁止であった。 この時、藩庁は月照らの処遇をどうするべきか談合を重ねていた。そこへある情報が飛び込んできた。筑前藩の盗賊方2名が月照を捕えるために鹿児島城下までやってきているというのである。さらに京都の目明が肥後の水俣に待機して、盗賊方の報告を待っているとのことだった。これに藩庁はすっかり動揺し、月照を日向の法華嶽寺に追放することを決めてしまった。
本当に藩庁がこの時月照を切り捨てることまでを考えていたかどうかはわからないが、このことによって西郷も月照も死を覚悟した事は確かである。11月15日の夜半、西郷は月照、平野らと舟に乗り込み、福山に向かった。そこから関を超えて日向に行くように通達されたからである。 錦江湾を渡る船中で一同は酒を酌み交わした。旧暦の11月16日は新暦で12月20日であり、南国鹿児島といえども深夜は相当な寒さである。三里ばかり進んだところで西郷は月照を船の外に呼び出し、月が照らす海を一緒に眺めた。ここから陸の方を見ると心岳寺が見える。この寺は、豊臣秀吉に最後まで抵抗した島津歳久の切腹した場所であると西郷は説明した。そしてこの直後、2人は固く抱き合って冷たい海へと飛び込んだのである。 |