江戸城の構造 1.天守 ~家光の天守~ |
広島大学大学院の三浦正幸教授によれば、寛永天守は五重五階地下一階。実質的には6階建てと同じである。棟までの高さは約45ⅿ、天守台は約14ⅿ、合計すると高さは約59ⅿとなり、現在のビルでは15階建て程度に相当する。さらに、本丸の標高は約20~21ⅿなので、江戸城下町から見上げれば80ⅿ近くに及ぶ。現存する姫路城天守ですら、高さは46.35ⅿ、彦根城天守は約20ⅿ、その差が歴然としている。パリの凱旋門は49.5ⅿ、自由の女神が48ⅿなので、寛永天守がいかに大きかったかが伺えよう。
真黒な天守というと地味な印象があるが、江戸時代において銅は超高級素材で、銅板を建物の一面に貼り付けるなど庶民のなせる業ではなかった。江戸幕府の財力と権力の誇示に、これ以上ない効力を発揮したと思われる。 実用面でも、銅には意味がある。黒漆は大洋に晒されると1年も持たず劣化してしまい、恒久的な建造物の外壁に用いるのに現実的ではない。黒漆が限られた時代にしか採用されていないのはそのためである。徳川家の城で一般的に使用されている白漆喰は風雨で傷みやすいため、格段に耐久性を高めるべく銅板が採用されたと考えられる。
屋根の銅板は、全て青銅である。青銅は褐色だが、10~15年ほど経つと緑青というくすんだ緑色の錆が生成される。錆と言っても保護膜となって耐久性が高まるので、天守には望ましいことである。同時に風合いも増していくので、古来から寺社仏閣で使われてきた青銅が、伝統建築としての重厚感を演出していたことは想像に難くない。寛永天守の屋根は、完成時は赤褐色のような屋根で、しばらくすると現在の名古屋城天守と同じような緑色になっていったと考えられる。 |