江戸城外郭めぐりその1
(お茶の水から飯田橋を経て市ヶ谷へ)
 
(2017.11)


お茶の水界隈から市ヶ谷まで歩いてきました。その後、地下鉄で日比谷まで行きましたが、これは江戸城イベントを来年行おうと考えており、その下見でした。
久しく下見してなくて、なんか都内まで休みの日に電車に乗っていくのが嫌だなあって思っており、どうしても足が外に伸びませんでしたが。そんなことも言ってられず、意を決して(大げさだ)行ってきました。

江戸城イベントと言っても、単に皇居に行くっていうのではなく、むしろ江戸城を構成した外郭がどうなっていたか、皇居を巡る周辺はどんな感じだったか、そんな点から見つめてまいりたいと思っています。
来年(2018年)の3月頃に第1回目を開催したいと思っています。見どころが多く、しかも点在しているので、何度かに分けて開催します。

出発地点を何処にしようか迷いました。
秋葉原からにすると、結構な混雑が予想されるので、集合が難しいと思い、地下鉄丸ノ内線の淡路町を起点にします。
まずは昌平橋へ。
寛永年間に架けられた橋なのですが、元禄4年(1691)儒学に傾倒した徳川五代将軍綱吉が、湯島聖堂を創建したとき、相生橋と呼ばれていたのを孔子誕生の地「昌平郷」にちなんで呼び名を改めたそうです。 
                           
このあたりには、徳川譜代の福山藩阿部家の屋敷があったそうで、特に7代藩主の阿部正弘は幕末期に老中首座を務め、日米和親条約締結等を行い、島津斉彬等とも交流を盛んにした開明派の人物でした。  

続いて神田明神。ここは、山王日枝神社と共に狭義における江戸城鎮守です。
入り口鳥居横の天野屋は、弘化3年(1846)創業の甘酒屋で、甘味もなかなか行けます。神田神社(明神)の創建は天平2年(730)で、大黒様が祭神です。12世紀には江戸氏が氏神江戸大明神を合祀。延慶2年(1309)には平将門の霊を祀ったとされます。江戸時代、天下祭と言われた神田祭は山王日枝神社と共に、天下祭を毎年交替で行っていました。 
江戸の鎮守ということで、ここも江戸城の歴史には欠かせない場所と思います。
                            
湯島聖堂もほど近くにあります。元禄3年(1690)に5代将軍綱吉によって創建されました。この地に寛政9年(1797)昌平坂学問所が幕府によって開かれました。 ここも、江戸幕府の存立に欠かせない場所なので、当然江戸城めぐりの一環として欠かせない場所です。
                                
聖橋です。湯島聖堂とニコライ堂をつなぐ橋ということで、昭和2年に架けられた際にその名がつけられました。
                             
江戸城とは直接関係ありませんが、やはり御茶ノ水まで来てここは欠かせない。
ニコライ堂です。ロシア人の設計で建てられた大聖堂です。 
かつては江戸のメルクマールだったとか。 
                        
さて、神田川って実は人工の川だってご存知ですか?かつて江戸には神田山という山があり、それを伊達政宗が分断し、そこに新たに神田川として流して江戸城の外堀の一部としたのです。 分断された神田山はその後駿河台と湯島台といわれるようになり、その間に人工渓谷が作られたというわけです。写真がそれ。  これにより、江戸城の防備がさらに盤石化されたと言われています。 
                        
お茶の水から水道橋へ行く途中、東京都水道歴史館に立ち寄ります。本番のイベントでもここには立ち寄ります。何故なら、水道の歴史は江戸・東京の歴史には欠かせないからです。江戸城の外郭を形成した神田川の上流は神田上水となっており、江戸城にも関連してきます。 江戸時代から明治、そして近現代の江戸・東京の水道の歴史はぜひ目を通しておきたいものです。 
                           
 水道橋から飯田橋に差し掛かります。飯田橋には、牛込見附がありました。 飯田橋駅改札を出たところに大きな石垣があります。これは、牛込見附の跡です。 
の見附は、阿波徳島藩蜂須賀家が作りました。蜂須賀家は御存じ秀吉の家臣だった蜂須賀小六を祖にするだけあって、築城技術は相当なものがあったと見え、この石垣の堅牢さも蜂須賀家の腕の確かさが窺えます。 
                     
飯田橋から市ヶ谷までは、外濠公園となっており、神田川伝いに歩いていきます。
市ヶ谷には「市ヶ谷見附」があり、この界隈が江戸の北を守る重要な拠点の一つであったことが伺えます。市ヶ谷駅の近くには、巨石が5,6個転がっており、「市ヶ谷御門台の石垣石」です。ここの縄張りは、織田家の家臣だった美作藩主森家が担当しました。森家の津山城も石垣がとてもきれいですから、幕府も織豊系の大名の築城術を見込んでいたのでしょう。     (右の写真は森家の津山城の石垣)
                     
市ヶ谷からさらに四ツ谷〜赤坂まで歩こうと思ったが、さすがに疲れたのでやめました。(笑)
そこからは地下鉄を乗り継いで、日比谷まで行きました。 日比谷には日比谷見附がありました。
この日の散歩はまさに
「見附を見つけにきた」散歩です。(笑) 

日比谷見附は、寛永4年頃伊達政宗と浅野長晟が完成させました。どうも伊達政宗は、江戸城築城と縁が深いですねえ。 これは、伊達家を安泰にしたいが為、幕府に忠誠を誓うべく働いたのだろうが、伊達家に限らず、多くの外様大名が苦労した事と思います。 
                         
その伊達政宗は、この近くにあった伊達家の屋敷で亡くなります。 日比谷公園内で最期を迎えたとはねえ・・・・。
                         
さて、このイベント、多分来年の3月以降に開催する予定です。 (笑)
          



TOPページへ BACKします