ナポレオン伝説の虚実 ~率いる身として ①~ |
辺境の下級貴族の子として生まれ、やがて転々として暮らす事になったナポレオンは、貴族としての教育も受けていないし、宗教教育も充分ではない。肝心の父親は、今で言う文学青年崩れ。それに、法律の勉強と称して家を空けることが多く、存在感はない。その代わり、十分すぎるほど父代わりをしたのが、母のレティツイアである。 10代半ばで結婚し、死産を含め14回出産。そのうち8人を成人に育て上げた。「体は女だが、頭は男だ」と言われたほど、考え方も男勝りで、威厳というものを生涯失わなかった。 その最晩年、一族の中から「かつて政府が約束した年金を貰おう」との声が出たとき、「意気地なし。誇りというものが無いのですか」と叱りつけたのが、老いたレティツイアであった。 分別のある賢母であっても、末子に対してはやや甘いという例外はあったが、どの子も偏愛せず、自立するよう仕向け、そのときどきに一番困っている子に手を貸す方針で、成功の頂点に達した次男ナポレオンに対しては、その没落を知ると、早速自分名義の城館などを処分して、用立てている。 こうした母の下で、ナポレオンは早くから自立を求める生き方を躾けられるが、それ以上に、母親の姿そのものが「率いる身」の生きた手本であった。
そうした姿は、統率者の在りようを示すものとして、少年ナポレオンの瞼に焼き付き、百万言を費やすのに勝る生きた教訓となった。 そうした意味では、6歳下の弟リュリアンも、この母親のもとでナポレオン同様、あるいはそれ以上に勇気を身につけている。政府転覆のクーデターの際、腰の抜けたナポレオンを抱きかかえて叱咤したのはこの弟であり、やがてナポレオンの専制政治についても、ひるまず批判を続けたりする。 手のかからぬ子であったナポレオンは、この賢母とはある程度の距離を置いて暮らすことになるが、母親思いであっただけに、その目を常に意識していたはずである。 一方、母親は息子の出世や大成を特に期待するようなステージママ的な存在でもなかった。むしろ、ナポレオンが皇帝になることに気が進まず、戴冠式も欠席する。 バランス感覚があり、長子に乗るのを恐れる母親であり、息子を褒める人には、「いつまでも続けばいいんだけど・・・」というほどであった。 その息子が破れ、エルバ島に流されると、早速その島に駆け付け、息子の仮宮殿の近くに住む。そのあげく、脱出して再起を図るかどうか息子が迷うと、母親は毅然として、「率いる身」の在りようを息子に思い出させる。お前は剣を取り、先頭に立って死ぬべき男ですよ、と。
コルシカがフランス領に編入されたため、ナポレオンはいわば食い扶持を減らすために、フランス本土にある官費で過ごせるその学校に送られたのだが、まずフランス語が上手く話せず、生徒仲間から馬鹿にされた。 そのうえ、彼らの殆どが裕福な貴族の子弟であり、家から小遣いなど充分に送ってもらい、休日なども贅沢に遊びまわったりしている。 これに対しナポレオンは、安い代金で牛乳を飲ませてくれる町はずれの農家のおばさんを訪ねるくらいしかできることはなかった。同じ学校にいながら、他の生徒たちとはまるで打ち解け合う機会がなく、3年半にわたり深い孤独の底に置かれてしまう。普通なら、心腐らせ、落後してしまうところだが、ナポレオンは逆に、そのマイナスな環境を自分の人格形成に大いに役立てた。 疎んじられているのなら、他人と付き合わずにすみ、わずらわされず、自分の勉強に集中でき、徹底的に勉強し、皆の戦闘に建つ勢いで勉強しようと奮起する。 結果、総合点ではそれほどでないにせよ、言葉のハンディキャップの無い数学などの成績が目立ち、教官の一部に目をかけられるようになる。 次に軍事学。雪合戦の指揮を取り大勝したとか、彼の作った陣地を町の人が感心してみにきた、などというエピソードが伝えられる。 若い彼は、明けても暮れても本を読んだ。ルソーの啓蒙思想などにも興味を持ったが、彼が特に好んだのは、地理と歴史。それも、カエサル、アレキサンダー大王、フリードリヒ大王等の伝記を乱読、精読している。このため、彼の後年の行動パターンには、明らかに第二のアレキサンダー、第二のフリードリヒを意識したものがある。 |